7/10のしゅちょう 文は田島薫
(戦争を止める方法、について 61)
ウクライナでの戦争は今なお継続中で、ウクライナ側もロシア側も兵士
や武器類の不足を他国からの供給で辛うじて繋ぎながら、あえぐような
疲労の中で双方が攻撃しあってる感で、もうそろそろお互い無理はやめ
て終わりにしようじゃないか、って言い出せばいいものを、お互いのリ
ーダーは、自国の勝利は間もなくだ、って強がっては、少しでも有利な
戦況を実現して優位に立った条件で和平交渉に望みたい、って考えてい
るようだし、ウクライナに軍事支援する西側諸国も同じ考えのようなん
だけど、このままの戦闘情況を続けるならロシアが戦術核の使用までほ
のめかして頑張ってる以上、最終的には、ウクライナはクリミアと東部
4州からのロシアの完全撤退は実現できずに、クリミアと+αを放棄する
妥協で決着することになるんじゃないか、って見立てもあった。
戦争はやるもんじゃない、ってそこで生活する人々ならだれもが感じて
るはずなのに、悪の敵国に攻められたら応戦するのは当然の祖国愛だ、
ってことに国民の大半が賛成すれば、戦争は必要悪、ってことになって
しまうわけで、今のウクライナはその情況なんだろうけど、戦争が現実
になれば、身近の親族や友人たちや自分や家族まで死ぬことが起こるわ
けで、ウクライナでは国民の7〜8割がその経験者になってるそうだ。
祖国愛や敵国への復讐に燃えて、勝利を信じた戦闘に身を投じる気分に
なる人々が増えることもあるんだろうけど、戦争の本質は双方の「殺し
合い」なのだから、愛国心やら正義を謳ったとしてもそれは双方で言い
合ってることで結局は空しいものなのだ。
戦う双方にそれを指揮するリーダーがいて、前線で命の危機に曝される
のはいつも、国のために命を捧げるのは尊いことだ、って信じこまされ
た一般国民だけであり、リーダーたちはたいてい安全な場所にいて、前
線で死ぬ兵士や破壊された住居やそこで死んだ国民をただ数字でとらえ
てるだけなのだ。
戦争に正義やら祖国愛を持ち出して、国民に踏み絵のような決断を迫る
ような政治はすでに破綻してるんであって、リーダーならいつも国民の
命を第一に考え、和平交渉に全精力を注ぐのがいいのだ。
相手国への最低限の敬意は示し、場合によっては屈辱にも耐えて、命を
取るなら自分の命を取ってくれ、その代わり国土の一部を捧げてもいい
けど、国民たちの命や幸福な生活を保証してやってくれ、ってような姿
勢で和平交渉に望めば不条理な結論にはならないはずなのだ。
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