10/2のしゅちょう 文は田島薫
(戦争を止める方法、について 73)
ウクライナの前線では双方の兵士が殺しあいを続けてて、その現実的
で具体的な人的被害の映像などの情況の報道はほとんどなくて、砲弾
発射や破壊された建物などの緊迫感がそれほどない風景的映像を見せ
るだけで、これだけの戦果を上げた、ってような双方の主張を伝えて
るだけなもんで、人々はただの陣取り合戦のようなイメージでニュー
スを見ては、無責任に西側はウクライナの勝利を期待し、ロシア側は
ロシアの勝利を確信してるような報道がされてる。
相変わらず、ゼレンスキー大統領は、西側御国に、さらに軍事支援の
拡大を要求し続けてるし、プ−チン大統領は、どんどん若者の兵士の
補充を続けて、双方の大統領はいくら若者たちが戦死しても最後まで
戦い抜く、って宣言してるようだけど、これでいいのだろうか。
西側も、ウクライナへの軍事支援に経済的な負担に疲れを感じだして
る模様で、野党はたいてい軍事支援の打切りの主張をしてるから選挙
でリーダーが代われば、ウクライナへの軍事支援は縮小してしまうだ
ろうし、その場合はロシアが攻勢を反転させるかもしれないわけで、
双方の大統領は若者たちの命を掛け金にした危険な博打をし続けてる
と同じなのだ。
ウクライナの正義についても、西側は無批判に信じ過ぎてないかもっ
と冷静に検証すべきで、もしロシアとの妥協交渉はありえない、って
切り捨てるなら、前線にいる人々の生き死にの過酷な情況を見捨てた
安全な場所からの呑気な正義主張だろう。
とにかく、ばかげた殺しあいにはウクライナ側にも正義はないのだ。
正義をうたうんであれば、うたう当人が前線に立って、自分の命を捧
げる、って場合だけだし、それでもそこで当人が死んでも、多分なん
の役にも立たないだろう。
国民の命を粗末に扱うような「戦闘に従事することを若者に強いる大
統領に正義はない」のだから、それを信じてる第三国のリーダーたち
も全員悔い改めて、停戦と和平交渉に導くのがすべき仕事なのだ。
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