4/4のしゅちょう
            文は田島薫

(独裁政治を変える方法、について)


世界ではいまだ独裁政治体制の国がいくつもあり、そんな国では反政府活動

家がいて、マスコミで批判したりデモしたりしてるうちに、それに賛同する

民衆が増えそうな兆しが見えると、取り締まられて捕まったりして活動を禁

止させられるのが常なのは、それが独裁者が独裁者である必然だとも言える

わけで、これが民主的な政治で選挙で多くの民衆の意志が反影された政治家

が選ばれてされる政治とは根本的に違うところなのだ。

独裁者はたいていが自己評価が高い自惚れで、民衆を自分より劣った集団と

思ってることが多いわけで、国単位で考えなくても日常生活の場でも、たと

えば会社や学校といった場で、一方的な法律を作ったり、勝手な自己判断を

部下や生徒に押しつけ反論を許さないような独裁者はどこにもいるんだけど、

その独裁者でも、デタラメな無法者で悪事ばかりしてる、って例は多分例外

で、ほとんどが、自分は人々のためになることをして上げてるのだ、って考

えてるはずで、当初はそういった意志に賛同もされてそういった地位に登り

つくわけで、それが知らない間に権力が集中して、その独断を取り巻きには

止められなくなった状態が独裁なのだ。

そうなるとたいてい、独断に対しての批判や反対するものが出て来るんだけ

ど、独裁者は「愚か者」からの意見に腹を立てて、だまれっ、って言うのだ。

そうして意見封じをくり返してるうちに、過激な反対勢力が過激な批判活動

をしはじめ、それに賛同する者が増えて来る兆しがみえると、「愚か者」た

ちが間違った方向へ誘導されたり、自分を暗殺する者が出たり、武力で乗り

込んで来るかも、って疑心暗鬼が起こるんだろう。

独裁者にでも、あるはずの基本的な善意を認めつつ、具体的な政策について

よい効果を生み民衆が喜ぶ理を解く力がある側近がもしいたなら、独裁者は

耳を傾けるはずなのに、たいていは独裁者に反対することによって、自分の

身に危険が及ぶと恐れてものが言えなくなるのだ。

または、民衆の方も、法律の範囲でできる署名活動や、意見を統一した穏便

な集団で面会を求めて、直接独裁者と談判できたら、独裁者も耳を傾けるは

ずなのだけど、問答無用に一網打尽に拘束されて留置されてしまうのじゃな

いかと恐れてしまい、独裁者のいる場所から離れたところから過激な批判を

叫んだり、あげくは火炎瓶投げたり、場合によっちゃ集団武装して乗り込ん

だりすれば、余計取り締まりが厳しくなって逆効果、ってことなのだ。

とにかく、武力でなにかを変えよう、って考えは政府側も反政府側も、犠牲

者ばかり増える時代錯誤の避けるべき方法なのだ。




戻る