4/25のしゅちょう
            文は田島薫

(不毛な愛国ロマンチズム、について)


侵攻されたウクライナでは、ゼレンスキー大統領のかけ声で、男性たちを半

強制的に他国へ避難する女性と子どもたちと引き離して国内に留まらせ、ロ

シア軍と戦うことを求め、西側諸国へは、軍事物資の供給とロシアへの経済

制裁を科すことを求めている一方、ロシアの方も撤退をするつもりがないよ

うだから、泥沼の戦争がいつまでも続くことになってるのだ。

ウクライナでロシア軍に抵抗する男たちは、祖国防衛の志しに燃えて命を落

とす覚悟まで持った悲壮な決意をしてるのだから、その立場から考えれば、

軍事支援を拡大して勝利の可能性に賭ける気持もわかるのだけど、一方のロ

シアの方だって、どこかで間違ったのかもしれないウクライナをネオナチと

決めつけてせん滅を目標にして頑張ってるわけだから、犠牲者の山がただ増

えて行ってしまう、って戦争の不毛を再現してるに過ぎないのだ。

始まった戦争はどちらかの息の根が止まるか、どちらかが妥協して敗北を認

めるかしか終わらせる方法がないのだとしたら、双方のどちらでもいいから、

積極的に妥協することでいいんではないのか。

そうしていくらかの非難を浴びたとしても、たいていそういった戦闘を賛美

する層はじぶんは安全な場所にいて、他人の命のやりとりを傍観してる者た

ちなんであって、戦闘に巻き込まれた当事者たちがじぶんの命を守るために

敗北を認めることを非難する権利などあるはずがないのだ。

とは言っても、軍事侵攻されるたんびに敗北を認めれば、軍事侵攻の有効性

を証明することになり、それはいけない、って言う意見には一理ある。

しかし、ただの一理であって、そういう連中自身の命が危機にある状況での

発言ではないことの方が多いのだ。

もちろん、本気で命を捨てる気で言う当事者もいるにちがいないけど、それ

はそういった状況の愛国的物語を信じこんでるだけなのであって、かつての

わが国の特攻隊などは、そう思うことがいいことなのだ、ってじぶんは安全

な場所を動かない上官などの無責任な「案内」からなのだ。

絶対正義の愛国主義なんてものはどこにもなくて、戦争があれば、敵と味方

に双方が別れ、双方が双方の愛国の正義感を持ち出すのだ。

とりあえず、妥協でもなんでもいいから、国のリーダーたちは寄ってたかっ

て戦闘を取り止める仲裁をしたり交渉をしたりに精をだすのがいいのだ。




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