1/24のしゅちょう
            文は田島薫

(考え方の変え方、について)


われわれは、だれでも、けっこう長く生きて来ると、じぶんの考え方が正当

な気になるもんで、または正当だと思い込むことで精神の安定が得られるも

んで、それを否定する意見には金輪際耳を貸さず、じぶんの意見をまくした

てて相手の意見を封じ込めるようなことをする者も大勢いる。

じぶんでもじぶんにわずかな疑いが生じた時には、すぐにそれを打ち消す習

慣を身につけることになるんで、内外を問わずじぶんの正当性を確立させて、

安心して、なんだか余裕のある気分で落ち着いた風格をかもし出しては、な

かなか立派なもんだな「ぶれない」じぶんは、などと自惚れてるような者も

けっこう多く見かける。

そうやって、じぶんの気持のいい理解だけを頭の中でくりかえして生活して

れば安心な気分だし、そのまま、他人からのじぶんの評価もいいはず、と信

じて一生を全うできたら、それはそれで幸せかもしれない。

しかし、世の中をよくしたい、って意志を持って日夜情報を収集したり考え

たり行動したりしてる人々も多くいて、そういった人たちの話を謙虚に聞い

てみると、いろいろな発見もあるのだ。

じぶんではなかなか立派な考えや行動をしてるつもりでも、もし、社会にな

んらかの害を及ぼしてることに気づいたら、安心して同じ生活を続けること

は難しくなるだろう。

で、それがやだから、そっちの方は知らないままに耳や目をふさぐことにし

てるのだ、ってもしはっきりそう当人が言ったとしたら、それに人々からの

敬意は得られないだろうし、あったそれも失墜するだろう。

だから、知らないことをじぶんに許す、ってことは結局、生き方としては本

当に心の底からの喜び、のようなものはもたらさないのだ。

先日SNSで哲学者中島義道さんの言葉が出てて、それには、ふと「テメーら

みんなバカだ」という心境になったら、ぐっとこらえて、「そうではないか

もしれない」と無理にでも思ってみるように訓練をする必要があると思いま

す、ってあって、これは究極の名言、だと私は感じた。

だって、世の中のいざこざ、トラブル、戦争、すべてが、おたがい、利口で

正しいじぶんと、バカで悪い相手、って疑わない認識から生まれるのだ。

世の中、絶対的な利口や正義もないし、逆に絶対的なバカや悪もないのであ

って、不完全な人間たちがそれぞれの都合でよかれと思ったことをやってる

のだから、ひとまず、お互いに敬意を持ってそれぞれの立場や都合に思いを

めぐらして共感できるところを発見したり、相互の問題点を検証しあう習慣

を持てれば、それぞれがじぶんの不備を変えることも容易になるのだ。




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