1/11のしゅちょう
            文は田島薫

(子どもの事情、について)


わが家の庭には、地域ねこさんが4ひき居着いてるもんで、それをながめに

来る子どもたちに庭を解放したら、ヤマモモの木に上ったりそばの物置きの

屋根に上ったりしだしたのも許して、ねだられたブランコも作ったら、毎日

のように子どもたちが遊びに来るようになり、今や、家人ともども、子ども

たちとつきあうことになったんだけど、遊んでる状況を時々眺めたり、なに

か訴えて来る子どもの話を聞いたりしてると、それぞれの性格の違いやら、

コミュニケーションの行き違いやらが見えて、なかなかおもしろい。

時々子どもたちがそれぞれに、相手に対する不満や嫌悪のようなことを訴え

て来た時に、それを俯瞰的に判断して仲介的なことをして相手の事情を理解

させるようなことをしてると、けっこう納得したりして、子どもも学習する

し、それを見聞きして考えてみる私や家人の方も学習させられてる。

たいがいがささいな誤解のようなことが多いんだけど、これは、子どもの世

界に限ったことではなくて大人の世界でも似たり寄ったりのことで人間関係

をまずくしてることが多々あるんじゃないか、って思う。

先日も小学生低学年女子たちが庭で遊んでた時、そのうちの2人が2階ベラン

ダへ来て、Aちゃんが怒ってる、って言うんで、どうして?って聞くと、わ

からないんだけど、物置きの上でドンドンとわざとらしく足で叩いてふくれ

てる、って言うんで、下を見ると、Aちゃんはブランコに座ってうなだれて

るんで、そばへ行って、どしたの?BちゃんたちがAちゃんが怒ってる、っ

て言ってるけど、って聞くと、泣きべそかきながら、自分を仲間はずれにし

てる、って言うんで、どういう風に?って聞くと、自分のことを無視して離

れて行ってしまって、取り残された自分のことを放ったまま向こうで何かや

ってる、って言うんで、戻って来てたBちゃんたちを見ると、今もたしかに

ブランコにいるAちゃんと離れた玄関前で、Bちゃんは靴かなんかを熱心に

洗ってて、Cちゃんがそばに立ってそれをながめてる。

Bちゃんはいつもなにか自分でやりはじめる性格で、ふいに自分でやろう、

って思ったことをやってるにすぎなくて、Cちゃんは怒ってるAちゃんのそ

ばにいるのもやだからそれをながめてるだけなのだ。多分Bちゃんも、怒っ

てるAちゃんにどう対処していいかわからないもんで、とりあえずどうでも

いいことをしながら困ってるのだ。全員が相手を意識しながら、緊張して顔

をこわばらせてて、気にしてるのに逆にいじわるに見えてて、おたがいに不

仲の雰囲気を増大することになってる、ってわけなのだ。

Aちゃんには、BちゃんたちはAちゃんを仲間はずれにしようと思ってるわけ

じゃなくて、自分のしたいことを勝手にやってるだけなんだから考え過ぎだ、

って、いっしょに遊びたいならもっとばかになってそばでつきあってればい

いのだ、って話してやると少しは納得したようだった。




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