4/26のしゅちょう 文は田島薫
(敬意、について)
コロナ禍の中でオリンピックをなんとか開催したい、って頑張ってる首相な
んかは、毎日ストレスをかかえて大変だろうけど、私にはちっとも敬意を感
じさせないのは、学術会議会員の任命拒否に象徴されるような、不遜な独断
や、経済効率第一で、国民の生命第一に考えてるようには思えない政策など
で、精一杯やってても、その基本的な考え方に誤りがあって進歩的な大英断
もできない取り巻きブレーンに固められてる不幸もあるのだろうし、多分、
首相個人の責任ではなく、適材適所の原則が守られなかったせいだろう。
そういった知らずに不遜になってしまった無理な立場の人には辛口の感想し
か贈れないんだけど、ごく一般の自分の身の丈で謙虚に頑張ってるどんな人
々にも、出逢った時に、それぞれの人柄やら職業的能力やらが伝わって来て、
私は自然に敬意を感じてしまう。
どんな職業の人でもそれぞれに大変な技術や努力がいるはずなんで、そんな
目と出逢えば、私は思わず会釈してしまう。
大人に限らず、子どもでも一生懸命なにか訴えて来るような目には、敬意を
感じて聞き耳をたてるし、道で会えば会釈だってする。
人間に限らず、ねこさんや犬さんにも、遭えば、あいさつの感じで手を上げ
たりするし、木々に止まる小鳥さんにも敬意の目を向けるし、頑張って道を
横断する芋虫さんも見守ったり、時には鄭重に移動の補助をしてさしあげた
りもするし、網戸から外へ出たがってる蚊さんも、窓を開けてさしあげる。
さて、私は偽善者なのだろうか。