3/8のしゅちょう
            文は田島薫

(分断社会の修復に必要なこと、について)


ネットで人々の意見を色々読んでて考えてみると、どうも、私もそうなんだけ

ど、自分の考えに近い意見にばかり目が行き時々イイネをするんだけど、違う

意見に出逢った時に、とくにここで反対意見してからまれても困る、って考え

てスルーする、ってことをやってるわけで、これだと、多分、どっちの側でも

それぞれの同意見の者たちの仲良しクラブみたいのが大きくなり、それぞれの

グループにイイネしてる者たちは、仲間がいっぱいいるもんでどんどんその意

見が間違いないような気分になってきて、それと対立する意見のグループにつ

いては、間違った異常か低能な人間たちなのだ、ってぐらいに信じだすもんだ

から、ますます分断が進む。

お互いに自分たちの意見の方こそ正しくて相手の意見など聞くに値しないのだ、

って考えて、ちっともそれを聞こうとしないなら、分断はずっと平行線のまま

交わることはできないだろう。

大事なのは、双方が謙虚になって、相手の意見を最後まで辛抱強く聞く努力が

必要なんだけど、これがなかなか難しいのは、だれでも経験してることで、ま

ず双方が相手に不信感を持ってしまいがち、ってところに原因があるのだ。

とりあえず、そういった問題状況を打開するためには、自分の方から、まず、

相手の意見を充分に聞いてみよう、って態度を始めるのがいいのだ。

途中で口をはさむことはやめて、相手に言いたいことは全部言わせる。そして

もうそれで言いたいことは全部ですか、って確認してから、その意見の要旨を

まとめて復唱して、こういうことですよね、って確認する。

その後、その意見についての問題点をいくつか上げて、それの解決策の提案を

する、ってことをすれば、相手も理解しやすい、ってようなことを、世界じゅ

うの企業に創造思考のやり方をレクチャーしている濱口秀司さんが言ってた。

とは言っても、そういった対立するグループの人々の理解力にも様々なレベル

があるわけで、それはこちら側にも言えるわけだから、それぞれの理解のレベ

ルに応じた問題提議をそれぞれの立場でやり合う習慣が普通になれば世の中の

分断は改善に向うだろう。

米国では、小学校ぐらいから、わざわざ対立した意見を想定して任意に振り分

け意見の出し合いで相手を説得する力を養う、ディベートって授業があるよう

なんだけど、日本では、そういった言い合い的なことはよくないこととされる

ような慣習のためか、みんななかよく、って表面上の和ばかりを求めるもんで、

主体的にものを考える力がつかないのだけれど、じゃ、議論の得意な米国でも

分断が進んでるのはなぜか、って言うと、ディベートやってても、それが対立

のままで強化されちゃえば逆効果、ってことにもなるのだろう。

とは言っても、とりあえず、自分の頭で考えてきちんと相手と議論できる、っ

て基本がないと始らないわけで、海外の学生に議論ふっかけられてなにも反論

できなかった、って言う学生たちがいる日本の現状はだめなのだ。


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