1/25のしゅちょう
            文は田島薫

(創造力の育て方、について)


情報過多の時代で、その流れの中で無批判に浸ってるだけだと、次々押し寄

せるようなそれに翻弄されたまま時間だけが過ぎ去り、気がついたら、なに

も納得行かないまま、もうじぶんの人生は終わり、ってことに。

なんでもじぶんが楽しく感じる趣味でも見つけて、それに没頭できたら、そ

れを続けるだけの人生でも、死ぬ時に、あ〜おもしろかった、って言えれば

いいのかもしれないんだけど、できれば、子どもの時にはわからなかったこ

とがわかったり、青年の時にもわからなかったことが、老境になって初めて

わかった、ってようなことを実感できたら、ただ子どものように楽しかった

だけの人生よりも豊かな幸せなものに感じられるのかもしれない。

趣味の世界でも、そういった認識を深める、ってことはできるわけだから、

ただ漫然と同じようなことをくり返してるだけのそれよりは、技術なり認識

なりが向上する努力をする方が充実感もあり豊かな人生になりそうだ。

とは言っても、あらゆる趣味に大勢の熟達者がいるものだから、じぶんが長

年努力してそういったもんを身につけたとしても、さほど納得できない、っ

て者もいるかもしれない。

じゃそういう者は、どうしたら、より納得した生き方になるのか、って言え

ば、他の人々がやってないことで、じぶんが楽しく情熱を持てるものを見つ

けるのがいいんだろう。

そのためには、じぶんの感覚や趣向をよく自覚する必要があるだろうから、

物事に出会った時に、すぐにだれかの意見を探したりしないで、じぶんがど

う感じるのか、どう思うのかを、常に確認するのがいいだろう。

その次に、じぶんの知らないことも確認したり、じぶんと他人の感想の違い

も確認して、その違いがどっから来るのか考えてもいいし、感覚的なことで、

じぶんのそれを信じられるなら考えなくてもいいだろう。

とにかく、じぶんの五感を総動員して、なにか新しい発見を心掛けるのが、

創造、ってものなのだから、大勢の人間と同じように流行を追いかけたりし

てちゃいくらそれが楽しかったとしても人生の無駄、ってもんなのだ。

無駄なものがいけないわけじゃないんだけど、だれかの表現なりを楽しんだ

後で、じゃ、じぶんは、もっと違う見たこともない形で表現できないか考え

たり、試作したりしてみるのがいいのだ。こんなことここで、私が言って、

なんになるのかわからないし、それなら、じぶんでそうすればいいんじゃね

えのか、って言われれば、一応そのようにしてるつもりなんだけど、成果が

見えないだけなのだ、って言っておこう。


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