3/23のしゅちょう 文は田島薫
(のんきの大事さ、について)
私はよくここで政治家ののんきさを批判してるんだけど、それは政治がいい加減
だと、人々に悪影響を及ぼすからで、やっぱりやれることをきちんとやらなけれ
ばいけない場面や立場はあるんだけど、それさえ押さえてあるなら、四六時中神
経をぴりぴりして頑張り続ける必要も意味もあんまりないんだし、かえって神経
を病んでしまう例もよくあることなんで、ふだんはできるだけ力をぬいてリラッ
クスして過ごす方がたいてい結果がいいのだ。
とは言っても、今日このごろのウィルス感染騒ぎの情報を聞いていろいろ心配し
ちゃうのは誰にでもある仕方ないことなんだけど、大事なのは、その自分の生活
環境の中で気をつけることだけきちんとリストアップしてやってれば、もう心配
そのものは余計なことであって、ただの心配は体調にも悪影響、ってことにもな
るんだから、なんの為にもならない意味のない不安や心配はさっさとやめてのん
きに楽しいことばかり考えたりやったりしてる方が体の免疫力だって上がる、っ
てものなのだ。
これを読んで、まだ身近に感染者がいないから、そんなのんきなこと言えるんだ、
ってもし感じる人がいたとしても、これはどんな段階でも言えることで、感染者
がいたらいたで、よりそれを広げないように、接触を避けたり、消毒や手洗いを
徹底すればいいわけで、そこでも心配は不要だし、のんきにして冗談言ったって
かまわないんだし、かまわないどころかそっちの方がいいのだ。
これを読んで、それより、身近に死者が出たらそんなこと言えないんじゃないか、
って感じる人がいたとしても、例えば、そんな厳しい窮地を過ごした戦中のシベ
リア強制収容所やナチスのユダヤ人抑留者でも、心身を消耗して死んで行く者が
続く中で生き残ったのはのんきなジョークを共有してた者だ、ってことだし。
どうしようもない悲惨な状況の中で落ち込む人々の気持ちをくつろがせて生気を
蘇らせる力を持ってるのが、のんきで気の効いたジョークだったりするのだ。
心配は状況を改善するためのきっかけにできる場合には意味があるんだけど、ど
うしようもないただ耐えることだけがやれることと確定してる場合は、ただの心
配は逆効果なんであって、その時には、のんき三昧が道を開くのだ。