2/17のしゅちょう
            文は田島薫

(死者を悼む、ってこと、について 3)


一般的に死者を悼む、ってことについての言動は、無念だ、とか、まだ早すぎた

とか、ってことが主題になり勝ちなのはある程度仕方ないにしても、悲劇的な面

ばかり強調するのは死者に対して失礼じゃないのか、って常々私は感じてて、こ

れからだったのに、ってようなモノ言いで、結果的にそれまでの当人の業績を過

小評価してしまうような表現もいかがなもんかと。

人の人生について、いいとかわるいとか、偉かったとかろくなもんじゃなかった

とか、本当は他人があれこれ言う権利はないのであって、どんな人の人生だって、

それぞれの都合があって、いくら悲惨に見えようが、自堕落に見えようが、長か

ろうが短かろうが、それぞれのやりかたで精一杯生きたはずなのだから。

とは言うものの、東日本大震災のような犠牲者や戦争の犠牲者について、そうい

ったことを言うには難しいことだろうし、悲惨でした、って言っていっしょに悔

やんだり悲しんだりしてやるのが一番自然に聞こえるだろけど。

ふいに起る自然災害の犠牲者にはたいてい落ち度がなくて、不運だった、ってこ

とが答になる場合が多いとしても、その限られた緊急の状態の中で、必死に避難

を呼びかけたり、だれかの命を助けようとして叶わなかった人の場合などは、後

々まで語り継がれて人々の記憶から消えることはないだろうし、ただ精一杯逃げ

ようとして叶わなかった人も、そんなに簡単に割り切れないにしても、短い人生

でやれることはやり遂げた、ってことは言えるはずなのだし。

一昨日のテレビで、13年前の中村哲さんのインタビュー番組の再放送を観たんだ

けど、水不足で飢饉になったパキスタンの住民たちが極寒の中山越えをしてる中、

毎日凍死する親子を見た、って、それで、医療活動の他に井戸掘りや灌漑作りの

活動をずっと続けてた彼は昨年暮に武装集団に銃殺されてしまったんだけど。

不条理なことに怒る地元民が大多数で、その悲劇を強調されるのは仕方ないにし

ても、彼の仕事はスタッフや地元民に継承され続けて行くはずだし、十分にやり

遂げた見事な人生だったことは間違いはないのだ。

それで、前の話の凍死する親子たちの人生はどうだったか、って言えば、子ども

をかばっておおいかぶさるようにしてた母親と、守られようとしてた子どもは、

どちらも亡くなったんだけど、悲惨と見るだけではないものがなされたはず。

身近な関係の人の死については、その人とのつきあいの感じは亡くなった後も残

ってて消えることはないのだし、当人がいたら言いそうなこともわかるのだ。

人の人生は一冊の本のようなものとも言えて、すごい分厚い哲学書の場合もある

し、心に響く素朴な絵本の場合もあるわけで、ふつうの古典を読むように、本当

は、われわれは身近な死者とだっていつでも交流できるのだ。


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