11/2のしゅちょう 文は田島薫
(幸せな時間、について)
先日、新聞の書評欄を読んでたら、「ブルシット・ジョブ、クソどうでも
いい仕事の理論」ってタイトルの本の紹介があって、今のコロナ禍の中で
人々の命や生活のために必要不可欠な仕事である「エッセンシャルワーク」
と対極の位置の徹底的に無意味な仕事のことについてだった。
これは、単なる「使い捨て」の仕事のことではなくて、多くは大きな組織
の中にある安定的な仕事で、総じて賃金は高いのに、徹底的に無意味な仕
事のことで、その主要5類型は、1誰かに媚びへつらうだけの仕事、2誰か
を脅したり騙したりする仕事、3組織の欠陥を取り繕う仕事、4形式的な書
類をつくるだけの仕事、5誰かに仕事を割り振るだけの仕事、といったも
ので、日本でもこの「ブルシット・ジョブ」が増大してる原因は富裕国に
おける経営封建制の不効率さにあるそうだ。
一方で社会的重要さあるにもかかわらず過酷で収入が低い仕事があり、他
方には徹底的無意味であるのに相対的に高収入の仕事がある、と。
で、こういった現実で、われわれはどっちの仕事を選ぶのが幸せか、って
とりあえず、社会制度的な問題解決を置いておいて、考えた時、過酷な仕
事を望むものは少ないだろうけど、いくら高収入でも無意味な仕事よりは
低収入でも意味のある仕事をする方が幸せなんじゃないか、と。
そんなことはない、無意味だろうが高収入の仕事の方がいいに決ってる、
って考える者もけっこういるから、そういった層が増えてるんだろうけど、
仕事そのものより、金をかせぐことを重要に考え、その金を自由に使って
経済的に余裕のある暮しをしたい、ってことなんだろう、と見ると、じゃ、
その仕事をしてる時間は彼の存在価値を実感する時間ではなくて、仕事が
終わった合間こそが本当の価値ある時間ということになるわけだけど、そ
ういった「ブルシット・ジョブ」も長い仕事の時間を要求されることが多
くて、さてたっぷり稼いだ金でゆっくり生活を楽しもう、って思った時に
は、すでに心身へとへとで人生も終わり、ってこともあるわけで。