10/12のしゅちょう 文は田島薫
(植物の精神性、について)
なんだかわけのわからないタイトルに感じるかもしれないんだけど、私に
とって、これが今一番リアルに感じるイメージで。
子どもの頃にも無意識に描く絵の中の樹木や草などに、なにか不思議な奥
行きや神秘を感じてた記憶があるし、成人になってもそれは続き、芸術表
現や哲学についてイメージする時に、たいてい樹木を思い浮かべてしまう
し、それがなぜなのかは、いつまでもわからなかったんだけど、後に仏教
などの考え方やら、宇宙と地球と生き物の関係などを知ったりして、だん
だんはっきりしてきたことは、われわれ人間などの動物よりも樹木などの
植物の寿命や歴史が長くて、いわば宇宙におけるわれわれの先達、ってこ
となんで、彼らを人間の都合で切り刻んだりすることは越権行為なんじゃ
ないか、もっと敬意を持って教えを乞う態度がいいんじゃないか、って。
世の中の人々も、そういえば、私がここでなんか言ってる前に、私よりも
もっと花や木々を愛して育てている人々は沢山いるわけだし、農家の人々
は、いつも、植物たちに感謝をしてつきあってることに、やっと気がつい
たとこなのだ。
それでも、無意識に、できるだけ大きい木を庭に植えたい、って思い、1
本だけ山桃の木を植えたのは私なんだけど、今や、それだけでわが家の庭
はいっぱいになってて、そこへ加えて小鳥が運んだりした種で周囲に潅木
が何種類も自然に生え、それがまたなかなかの調和を見せている。
花や植物の名前もあんまり知らないし、花を飾る習慣もなかった私も、そ
れをする家人と暮すようになってから、庭のささやかな小さい花がガラス
びんに生けられたそれにしみじみ癒される気分を知ったし。
都市でも、樹木の見えないそれは殺風景で気分さえそうなるのに、樹木が
あるそれは、気分も豊かになるのだ。
当たり前すぎるようなことなのに、意外にそれに無頓着な人と早くからそ
れに気づいてる人の精神的豊さはどうも比例してるようなのだ。