1/20のしゅちょう
            文は田島薫

(メディア報道の受け取り方、について)


テレビやら新聞やらネットやらで、たくさんの情報が発せられてて、受け身で

いるだけの庶民は、たまたま見聞きしたそれを、特にマスメディアなんかだと

そのまま信じてしまい勝ちなんだけど、われわれは主体的にそれの真偽や問題

の一番大事な部分について冷静に判断するクセをつけておく必要がある。

そうしないと、沢山の情報をあれもこれも知ってるけど、それを自分の行動に

どう反映していいのかわからないはずだし、それより先に情報と自分の関係に

ついて人はそれぞれの立場で、企業人は自分の企業の発展を、政治家は自分の

政策的業績を、会社員は自分の待遇改善が第一の目的に、ただ自分の欲望をど

う満たすか、って浅薄な道具としてだけ感じてしまうかもしれない。

ところが、当たり前のことだけど、世界はつながっていて、われわれが自分だ

けの独立した生活についてのことだ、って思っていても、必ずなんらかの影響

を相互に与えあってるわけで、将来の世界の環境のあり方などについてだれも

が意識を持って考えた行動を取る方がいいのだ。

たまたま今月までわが家で購読契約してた大新聞の社説を読んでたら、今回の

愛媛の伊方原発稼動差し止めをした広島高裁の判決に、批判的コメントをして

たんだけど、その内容は、新基準で詳細に調査した原子力規制委員会専門家た

ちの判断を司法が一方的にくつがえすのは横暴だ、って言うものだった。

原発の下に活断層がないという証明や阿蘇山の最大噴火の影響などを元にする

のは現実的じゃない、って言うのだ。

他のメディアの意見も調べたら、経済誌系のメディアはそろって同じ意見のよ

うで、原発稼動が止められたら替わりに火力でまかなわなくてわならなくて、

余計な費用もかかるし、温暖化防止にも矛盾する、ってことのよう。

現実的じゃない、ってような判断でされた呑気な基準で施設された福島原発で

の大事故の後でも、また同じようなことを言い出してる産業界の意見をわれわ

れ国民が鵜のみにすると将来同じ惨事を起こすことになるのだ。

事故の危険性がわずかだ、って判断はもうだめなのであって、原発は全廃棄し、

火力発電も短期間におさめ、早急に自然エネルギー政策に転換して行くべき、

って考えるのが、直感で判断する良識ある人々の正解だろう。


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