9/2のしゅちょう
            文は田島薫

(戦争はなくならない、って認識について)


人々の多くは平和を望んでるはずなのに、有史以来世界じゅうで戦争が絶えたことは

ない、ってことがわかると、それについて様々な理由を分析する学者たちがいて、戦

争が起きるプロセスには多様な状況があり、そのどれにも、各集団の自尊心や権益の

拡大やらがあり、一旦そういった理由でどっかの集団が他のどっかを攻撃したなら、

大抵はそれに対する反撃があるものだし、反撃があれば反反撃、ってふうに報復の連

鎖が始まり戦争、ってことになるわけだからそれは人間の性みたいなもんだ、ってよ

うなことになり、それに戦争をすることによる軍事技術の発展が科学そのものの発展

でもあり産業も繁栄するし利益も生む、ってことでなおさらそれはなくならない、っ

てようなことをよく言う。

それを聞いたわれわれは、なるほど戦争はなくならないのか、ってすぐに絶望的な気

分になり勝ちなんだけど、そのことについてよく考えてみれば、その時、戦争で潤お

う側の論理にすっかりだまされてる、ってことも言えるのだ。

理想論で言えば、そういった戦争を無くすためには最初に攻撃した方の責任について

きっちり検証して、当事者集団が反省して2度とそういったことはしないことを誓い、

それを守ればいい、ってことになるんだけど、そうはいかないのが現実なのは、そう

いった反省などをしたりさせたなら当事者集団双方が自分たちの利益にならない、っ

て判断するからで、いろいろなへ理屈をつけてそれをしないせいなのだ。

じゃ、たとえば、欧米各地で起きてるテロや、もっと大本の2001年のニューヨーク

同時多発テロについて考えた時どうなのか、って言えば、イスラム過激派の責任につ

いて追求するのは正当な事と言えるかもしれないにしても、それの一味がいるはず、

って決めつけて米国などがアフガンやイラクに報復攻撃したのは間違いだったのだ。

また、イスラエルがパレスチナにミサイル攻撃して住居地区を大量破壊してるのにつ

いても、最初にパレスチナ側がテロを起こしたせいだ、って言うなら、それについて

の当事者を探し出し国際裁判などで罪を追求すれば戦争にはならないのだ。

ところが、前述の同時多発テロについても同じなんだけど、パレスチナがイスラエル

にテロ攻撃するには理由があり、恒常的にパレスチナの土地を国際裁定を無視して侵

略し続けてるのはイスラエルの方なのに、過剰な報復攻撃をするもんだから、パレス

チナ側だって反反撃、ってことになるわけで、それに対しイスラエル側は遥かに勝る

軍事力でパレスチナを抑えつければいい、って考えてるのだ。

こういった現実をちょっと見てみると、だから戦争はなくならないのだ、って言うの

は簡単なんだけど、それがいつも経済力や軍事力の勝った側が自分を正当化し、相手

が悪いのだ、ってばかり主張して、自分の側の問題点については目を向けないように

してるのが諸悪の根元なのだ。

どんな集団のどんな個人も一部の狂った武器商人を例外とすれば、基本は戦争よりも

平和を望んでいるはずだし、それを戦争をする理由にもしてることが多いわけだから、

各国各集団が究極は世界平和が目的だと言いながら安易に仕掛ける戦闘はいつも良い

結果は生まないことを意識して、紛争の起きそうな時にいつも国際裁判のようなこと

でお互いが検証するルールを作りそれを守ることをわれわれ庶民もみんなで支持して

行き、武力で他集団を制圧するやり方は時代錯誤の恥ずべきことなのだ、って感じる

風潮を作って行くのがいいのだ。それを聞いて、そんなことは無理だ、って思ったな

ら、その人は知らずに邪悪な武器商人の側に洗脳されてる、ってことなのだ。


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