5/13のしゅちょう
            文は田島薫

(枯れない精神、について)


日本人は世界的にみてもだれでも80才ぐらいまでは生きる長寿な国のようなんだけ

ど、病院や家で介護を受けて寝てるばっかり、ってようなのを除いた健康寿命、っ

てことになるとどうも70何歳、ってことになりそうだ。

それぐらいの年になればだれでも病気をいくつか持って治療中、ってことは仕方な

いことだろうし、色んな病気をなだめなだめだましだまししたりでも長生きできて

ることがわるいことであるはずはないだろう。

70才も過ぎてどっか身体が不調になり病院に看てもらいに行くと、医者から、年齢

のせいです、などと軽くあしらわれることも多々ありそうで、それを聴いた当人は

あ〜、もう自分は老人でどんどん衰えて行くだけなんだ、ってたいていの者は気落

ちしてあまり積極的になにかする、ってことより静かに無理のない楽な生活を続け

て人生からフェイドアウトして行こう、って考えるかもしれないんだけど、それと

は大分違う考え方をして生きてる老人もこれまた多々いるようだ。

例えば、86才になる作家の五木寛之さんなんかは自分で様々な人体工学的知識を駆

使して自然主義的健康管理をしてずっと元気に発言や執筆活動しているし、彼より

さらに10才上の瀬戸内寂聴さんは、癌などの大病と手術をいくつも経ても五木さん

と同じような活動を積極的にやっている。

彼らの発言を読み聴きしてると、多彩な人生の経験から来る思考の説得力を感じて

も、年老いた衰えのようなものは一切感じないのは、彼らが日々前を向いて新しい

世界の物事にも主体的にきちんと感応して意見を発してるせいなんだろう。

そんな著名人に限ったことじゃなくても、新聞の読者の投書のようなものを読んで

て、論理的にもしっかりした意見に感心してから執筆者の年齢を見ると80や90、っ

てこともよくあることで、今や年齢でその意見の若々しささえ決めることはできな

いようだ、って感じるのは、自分もそういった年齢になってきてるせいかもしれな

いんだけど、老人は思考を深めたり世界の物事に反応することはできにくい、って

考えは間違いなのだ、ってことがわかるのだ。

先日、テレビで80才になる作詞家で作家のなかにし礼さんが出てて、絶望視されて

た喉頭癌を陽子治療で克服した後再発があり、手術で患部を取り切れなくて、後数

日の命だ、って言われてた中、執筆を開始したら、常に今の自分の精神の殻から脱

皮をくり返すような快感があり、日々前へ進んで行く喜びを続けてたら、数カ月で

癌が消えた、って。


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