1/21のしゅちょう
            文は田島薫

(しつこい会話、について


だれでも人は心地のよい環境で心地のよいことをして心地のよい会話をして生活した

い、って考えてるんだと思うんだけど、社会の中で生きる時は、ある人が心地よい、

と感じてしてることが、ある人たちには不愉快に感じる、ってことはよくありそうで、

だから、自分のその感じたことや感じ方を絶対と信じてそれを他人に押しつけようと

するなら、された他人にとってはそれは迷惑なことに違いない。

私なんかもそういった加害者的な立場で、他人から迷惑がられた経験が多々あるもん

で、これは自分自身にとっての問題でもあるんだけど、私自身も他人からそれをされ

たら迷惑に感じるわけなんで、じゃ、そういった状況になったらすぐに話を中止にす

ること、それでおしまい。で済めば物事は簡単、ってことになるんだけど、それだと、

私の場合は、心が治まらないことが多いのだ。

私は少なくとも人とつき合って行くのに、自分の考えを相手に理解してもらえてない、

とか、自分が相手の考えてることに納得できない不可解な部分がある、って感じてる

ことをほっておいたままで、心地よい関係でいることはできないのだ。

ま、ここで私が言ってるのは、あくまでも友人関係のようなことについてなんであっ

て、仕事上やただあいさつをかわすだけの関係の人すべてにそうだ、って言ってるわ

けじゃないんだけど。

じゃ、考え方が少しでも違う人間とは友人になれないのか、って言えば、そんなこと

はないわけで、生まれも育ち方も経験も違う別人格の人間のそれが違ってるのは当り

前のことなんだし。

私が大事にしたいのは、例えば相手のなら同じ考えであるかどうかじゃなくて、違う

なら違う考えでもいいから相手に十分に話してもらって、それを得た経過なりそれを

信じる理由なりを知って一旦受け入れたいし、私の考えについてなら私が話し終わら

ないうちに不愉快だからと止められるより、それが伝わったことを確認したいのだ。

それが済んだ後ならば、この話の続きは今度にして今はお互い共通のもっと楽しい話

をしようじゃないか、って言われても気持よく従うことはできるのだ。

じゃ、それをどこまでやれば、私は納得するんだ、ってことにもなるし、あんたぐら

いしつこい人間はいない、って言われることも多いんだけど。

問題は、そういったしつこい話が、夜明かしでしてもかまわない、って思うほど私が

大好きなのにくらべ、たいていの人にとってはそれが大嫌いなようなのだ。

そうは言ったものの、さほど話をしなくても、わかりあえる、って関係ももちろんあ

るし、そっちの方がずっと心地いいんだけど、それにはベースがいるのだ。


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