9/18のしゅちょう 文は田島薫
(メメント・モリ、について)
メメント・モリは、ラテン語で「死を思え」って言葉らしく、自分もいつか必ず死
ぬんだ、ってことを忘れるな、って意味の警句のようだ。
そこから続く結論は、だから、いつ死んでも悔いのないように、生きてる間は自分
の心に忠実に日々を大事に楽しく過ごせ、ってことなのだ、多分。
女優の樹木希林さんが亡くなった、ってニュースが流れて、身近にいた人々には非
常に悲しいに違いないとしても、沢山の人々がその人柄や思い出についてコメント
し合ってて、それは希林さんがそれだけ愛されてた、ってことのわけで、亡くなっ
てからもわれわれ一般人にとっては、多くの記録された映像やら文章で話を聞きつ
き合って行くことができるんで、生きてる時と亡くなった後との差はそれほど感じ
ないかもしれない。で、そういったものに今後も触れ続けたい、って人々が感じる
ならやっぱり希林さんは充実した人生を送った、ってことになるはずだし、人々に
とっては依然として生き続けてると同じことなのだ。
希林さん当人も、このメメント・モリを実践してるかのように、全身がん、って診
断を受けた後も、人間にとっては生きることと同様に死ぬことも普通のことなんだ、
って淡々としながら、言いたいことを言い、やりたいことをやってたし。
多くの人々が、その姿に、なにかの生きる理想形を感じたようで、老人の在り方と
しては私にも、瀬戸内寂聴さんや横尾忠則さんなんかと同様にお手本なのだ。
100才以上で生きてる人も沢山いる中で75才、っていうのは早過ぎる、って言う見
方もできるんだけど、私が子供ん時に亡くなった祖母は65才ぐらいだったし、その
頃はそれが普通だったり、私が大好きなロックンローラたちが27才ぐらいで亡くな
ってても今だに才能や業績を取りざたされたり愛されてるわけで、人生の長短でそ
の価値が決まるわけでもないし、それぞれの人生の終わり方にはそれぞれの事情が
あり、それぞれが独自の価値を体現したんだ、って敬意を表したいもんだ。