7/30のしゅちょう
            文は田島薫

(ニール・ヤングのえらさ、について


シンガーソングライター、ニール.ヤングは50年前にレコードデビュ−後、今だに

現役でコンスタントに平均年1枚出してるアルバム全曲の作詞作曲と演奏活動を続

けてて、それのどれもが借り物でない彼独創の音と歌詞で構成されている。

多分初めて私が彼の曲を聴いたのは、映画「いちご白書」の中で「ローナー」って

孤独な引きこもりの若者の歌詞の曲で、それまで聴いたことのない斬新でかっこい

い(ニール・ヤング ウィズ クレージーホース)ロックバンドに、瞬時ファンに。

彼は子供の頃、両親が離婚、当人も小児麻痺をわずらい背骨に異常を持ち、骨切除

手術や金属サポートを入れての活動や離婚と再婚し生まれた息子が脳性麻痺だった

のに、3度目の結婚で生まれた息子もまた脳性麻痺だったんで、夫人とそういった

子供のスクールとライブエイドのコンサートを始め30年後の今も続けている。

その後、自身の背骨手術や、新たな脳動脈の手術を経て、息子たちのケアも続けつ

つ、親しい映画やレコードのプロデューサーたちやバンド仲間の死もあった中、音

楽創作活動も続けている他、電気自動車や高音質音楽再生器の開発や自主映画制作

も続けてるし、貿易センタービルなどへの多発テロの後、ブッシュ政権の対イラク

政策に反対した歌を創り歌い、放送禁止とされたジョンのイマジンも歌ったし、地

球環境破壊についての問題提起キャンペーンもするし、困窮する農民たちを見れば

仲間とファームエイドのチャリティコンサートもずっとやってる。

ミュージシャンだったら、ヒット曲を作ることだけが一番の関心事、って形がごく

普通だろうに、彼はそんなことは眼中になく、自分が今表現したい、ってことが全

ての指標であり、仲間のミュージシャンや若手のミュージシャンに対してはそれぞ

れの技術や才能に敬意も払いつつ、自身の表現は常に革新を求め、前回のアルバム

と全く違う表現も、逆境や周囲の期待や評価なぞは気にせず、いつも自分の感覚に

忠実に自由にやり続ける、それは私が思う芸術家の理想的な在り方なのだ。


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