7/17のしゅちょう 文は田島薫
(はじめてのおつかい、について)
2才か3才の子供に家から何百メートルか離れたところにある店での買い物を頼み、そ
の不安や心配や恐怖や悲しみの中での悪戦苦闘をカメラで追う、ってテレビ番組が人
気らしく、私と家人もきのう思わずそれを見てしまった。
大人のわれわれから見れば簡単な買い物が彼らの視点からは未知の大冒険だ、ってこ
とは、かつて子供だったわれわれにも共感できるわけで、その健気さや失敗を見ては
可愛さに笑ってしまう一方、彼らにとっては深刻なことなんだ、ってこともわかる。
それを見てるうちに、こうやって子供のことを上から目線で笑ってる自分も、実はあ
らゆるところで、はじめてのおつかい、をやってるんだ、ってことを思った。
番組のような買い物はたいていの大人にとっては日常茶飯事で、ちっとも大変な部分
はないんで安心して可愛いね〜、などと笑っていられるんだけど、これが、普段やっ
てないようなことをする、って場合はなんでも、はじめてのおつかい、ってことにな
るはずで、たとえば、結婚式のような場面でのスピーチを頼まれた時とか、たいてい
の者はそんなことはなるべくやりたがらないのは、はじめてのおつかいの子供の気分
と同じだからかもしれないのだ。
それとか、はじめての海外旅行、これがパックツアーで旅行会社のガイドにただくっ
ついてればいい、ってもんならさほど心配もないんだけど、自分でホテルやらレスト
ランやらの選定や交渉もやる、ってことになると、ちょっと、はじめてのおつかい気
分にもなるわけで。
仕事でも自分が専門としてずっとやってたことから外れて、初めての部門に行かなく
ちゃならないような時も、はじめてのおつかい、だし。
まあ、一般常識的な生活(?)をしてれば、どんな新しい場面でも、それをどう切り
抜ければいいかの見当はつくわけでさほど慌てる必要はないんだろうけど、その場面
で、心配や不安の中で悪戦苦闘する姿ははじめてのおつかいの子供と変わらないのだ。
子供もそうだけど、大人だって、進歩するためには、はじめてのおつかい、を避けて
通るわけには行かないわけで、なんでも慣れてしまって一切不安のようなものは感じ
ない、ってよりも、その不安や心配やらは人生の醍醐味には必要なのかも。