7/18のしゅちょう
            文は田島薫

正義の欺瞞性について


子どもが夢中になるヒーローものコミックや、正義漢と悪漢が最初から確定されてる勧善懲

悪ドラマなどは大人でも楽しめるわけだけど、現実の世の中だと、そう絵に描いたような生

まれつきの悪人などはそう沢山はいないもんで、悪に走るようになった原因まで物語ったた

り回心したりするドラマの方がリアリティを感じたりもするわけだ。

それが、そりゃいけないだろう、罪もない人をいきなり殺しちゃうのは、ってようなだれが

見ても悪いことだ、ってものから、あ〜、そんなふうに酷い仕打ちを受けてそれの我慢に耐

えきれずに、ってことか、って聞くと少し同情したり。

そうすると、正義の立場が逆転する形にもなるわけだけど、それは一面の現象からの感想に

過ぎないわけで、たとえば、ひどい仕打ち、ってことも、その現場での事情をつぶさに検証

して行くと、仕打ちをする方がされる方のなにかの不手際についての正直な怒りとか、なん

らかの教育的矯正のため、ってようにある種の正義を感じてるのかもしれないわけで。

これが家庭レベルで親が子どもにすれば虐待、ってことで普通に咎められるんだけど、これ

が国家レベルになり、他国間との戦争にでもなれば、捕虜やスパイに対して拷問にかけたり、

一般人を殺したりも普通になるわけだから、そうなると、双方の国が自国の正義を主張して

も、罪のない者を傷つけたり殺したり、って基本的な悪を肯定しながら正義を謳う矛盾が生

まれるので、戦争が絶対悪だ、って言われる所以なのだ。

正義感、ってものは知らずに我田引水に変形して行くもんだから、それを心に思ったり、口

に出したい気分になった時はだれでも気をつけた方がいいのだ。

例えば、だれでも様々な状況の中で自分がひどい仕打ちを受けた、って感じた時相手に殺意

のようなものを感じることがありそうなんだけど、冷静になって考えてみればたいてい、怒

るほどのことではないのかも、とわかったり、相手の立場や事情も理解できたりもするわけ

で、それでも激しい怒りが消えない場合があったとしても、より広い世界の矛盾や関係性も

わかれば、怒りは少し棚に上げてみたり、その中で状況を変えるために自分は能力の全力を

出しつくしてるか考えてみたり、一番、問題にして改革していかなければならない社会構造

の問題点にも気がつく、って言うもんなのだ。

だから、安易に自分の正しさを叫んで、相手を悪と決めつけてブログで騒ぐタレントはいず

れ自分の間違いに気がついた方がいいし、安易に他国や武装組織を悪だと決めつけるわが国

のリーダーたちも早くその間違いに気づいて冷静な政策をして欲しいもんなのだ。




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