5/1のしゅちょう
            文は田島薫

(自民党議員の失言について


東日本大震災が東京じゃなくて起きたのが東北でよかった、って言ってマスコミの大非難

を浴びた自民党の復興相が更迭されたんだけど、自民党内部でも、表現の仕方がまずかっ

た、って感想が大多数だったとしても、その彼らの内心では、本音を言ったに過ぎないん

だけどただちょっと言い方を間違えただけ、って思ってるのばかりなのかも。第一、幹事

長などは後で、党を代表したように、マスコミの方を批判したんだから。

けっきょく、こういった失言は自民党の誰もがいつしてもおかしくない種類のもんで、同

様パターンの失言を何人もの同党議員が凝りもせずくり返しちゃ、本音をそのまま言っち

ゃうとマスコミに攻められて面倒なことになるから気をつけた方がいい、っていったレベ

ルの警戒心を共有してるに過ぎないのだ。

東北より東京の方が格段に人口が多いし政治経済のシステムも集中してるわけだから、災

害時はより多くの被害が起きる、ってような子供でもわかる理屈を、わざわざ表現して自

分が気の利いた演説をしてるつもりになる慢心や奢りが自民議員の馬鹿げた特長なのだ。

それを、小学生レベルでもいいからきちんと普通に表現したなら、特に問題も起きないは

ずなのに、何も考えないでぽっと出した表現に当人の普段の認識の本質が出るのだ。

その本質、って何か、って言えば、安倍自民党政治の考え方、経済成長の数字を象徴とし

た、数字の量的拡大のみを政治政策の成果として目指してる、ってことだ。

経済は、本来はすべての国民の生活環境の向上を目的にしてるはずなのに、国や国民の全

体の平均値の数字の向上ばかりに目を向け、それが上がれば、ほら国民の生活は向上して

るでしょ、って言いながら、どんどん広がる所得格差などには目を向けない。

福島の避難者などについても、個々の不遇な状況について、心から想像力を働かして見て

ないもんで、自分たちの原発推進政策による責任などを全く考慮の外のように、常に上か

らの目線で、色々やってやってるのに文句言うんじゃない、ってような意識だし。

国民の不幸はその人数の数字で小さければ、仕方のない犠牲、ってことでいいんじゃない

か、ってくくって済ましちゃうような意識。

ISの捕虜になったジャーナリストをヨーロッパ各国政府は高額な身代金を支払って救った

一方、わが国の自民政権は悪と交渉はしない、って言って見殺しにしたような。

人々の不幸は10万人だろうが10人だろうが、その人数を構成してるのはたったひとりづつ

のかけがえのない個人なんであって、少数なら目を向けなくても気にしない、ってことで

は人々からの本当の信頼は得られないのだ。

自民政権がもし、表面的な数字ばかりに意識を持つんじゃなくて、ひとりひとりの国民や

難民などの不幸を心から救おう、って気持をきちんと持てたなら、自然に失言もなくなる

し、世界平和にだってもっと貢献できるはずなんだけど。




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