6/3のしゅちょう
            文は田島薫

(あきらめない心、について


きのうぼーっとテレビやら録画したもんを見てたら、女性ディスクジョッキーの坂上ミキさ

んが数年前の52才の時に子供を生んだ、って話をしてた。当時話題になってたらしいんだけ

ど、あきらめずに10年ぐらい不妊治療を続けての成果だったそうだ。一般常識的には40代

前半過ぎたら絶望、ってことでほぼ全員あきらめちゃうとこだろう。じゃ、あきらめるのが

よくない、って単純に言っちゃうことも問題で、その可能性は0に近いほど低い、ってこと

は多分事実で多大な労苦が報われないことの方が多いんだろうから。そうは言っても、0に

近い可能性と、可能性0、では意味が違うわけで、0ではないのなら可能性はあるのだ。

だから、苦労を覚悟した上で可能性に賭け、できる限りの努力をしてみたい、ってあらゆる

手立てを調べ、自分に向いてそうな方法を選び実践してみる人がいたとしたら、その人をバ

カだな、と笑うことはできないはずだし、仮に結果不成功だったとしても、その行動には当

人のなんらかの生きた証が刻まれたり、世の中への実験的データだって残るはずだ。

じゃ、可能性が0じゃなければ、いつでもあきらめないでやった方がいい、って言った場合、

例えば、サッカーで相手チームに4点入れられててこっちは0点、残り時間5分、ってような

場合、1分ごとに1ゴールすれば勝てる、って可能性はあるにしても、多分無理、って考えて

も当然だろうし、もしその可能性があるなら、もっと早い時間に1〜2点入れられたんじゃ

ないのか、ってだれでも思うだろうけど、そんな場合でも、考えようでは、相手チームはほ

ぼ勝ちを確信し油断してただ守りに入ってる、ってこともあるわけで、スキをついて連続得

点の可能性が高まってる、ってことも言えるわけで、勝てないまでも何得点か返したのと、

0点のままとじゃ、雲泥の差なのだし、奇跡的に逆転、って可能性も0ではないのだ。

世間一般の常識を聞いたままそれを信じ、自分の主体的判断の停止ばかりしてたんでは、人

生つまんないんであって、そういった常識にいちいち疑いを持つのも老後の楽しみなのだ。

才能や努力の量が違うといえばその通りだけど、サッカーのカズさんは、プロスポーツマン

の常識限界を越えた50才過ぎでJリーガー現役だし。

世の中で常識とされてた絶望状態、医者から余命宣告された末期がんから生還してる人が大

勢いたりするのは、治療の可能性はいくらでもあるのだから、いつも患者自身が主体的に調

べ治療法を選び取って努力して行く選択肢の有効性を示してるのだ。

早い話が、たいていの高齢者に起こる膝痛、私自身も経験してるんだけど、テレビCMなど

で当然のように宣伝してるいろんな高額な薬やサプリメントなんかなしでも簡単なストレッ

チで治るのだから、安易な手術なんかはもっての他なのだ。こういったことはあらゆる病気

に言えるんであって、あきらめずに自分できちんと調べれば、それにあったストレッチのよ

うなことやそれに適した格好な食事なんかも見つかるのだ。

スポーツマンのだれかが、勝負は最後の5分で決まるのだ、って言ってた、って、あきらめ

なければ、土壇場でこそ俄然勝機が増す、ってことらしいのだ。

ハードボイルド小説の主人公はどんな絶対絶命の危機状況にあっても、命ある限り最後の1

秒まであきらめない、って強い意志が、いつだって危機からの脱出を可能にしてるのだ。




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