12/4のしゅちょう
            文は田島薫

パワハラがダメなわけ、について


モンゴル出身の横綱が同じ出身の格下の後輩力士が目上に無礼だった、って理由で暴力を

振るい大怪我を負わし、周囲からの批判を受け辞表を出し引退した。

かつて、こういった暴力は国内の様々なスポーツクラブで心身を鍛えるために必要なシゴ

そとして普通に行われてた、って聞くんだけど、それによって重大な後遺症やら死亡する

例などもあり、徐々にそれは廃止される傾向のようだ。

手加減してやってれば多少はこういうこともあっていいんじゃないか、って私もちょっと

思ったりしてしまうんだけど、けっきょく、こういったシゴキのようなものは、上下関係

の上のものが下が反抗できないような環境の中で安易に行われるいわばパワーハラスメン

トそのものなわけなのだから、やっぱりダメなのだ。

パワハラがいけない理由は、自分の地位の優位な者が、逆らうと不遇な状況に追い込まれ

る恐れを抱く立場の弱い者に、一方的に言葉を吐いたり要求を強要したりすることだから、

そのコミュニケーション形体が平等性を欠き、反抗は始めから封印されてる、って安心の

上にすることで、そこには自分の身に負荷を賭けるような真摯さは一切ないわけで、人は

たいていだれでもその行為に「卑しさ」を感じて、敬意は感じないだろう。

シゴキ的暴力の方も、する側にいくらそれに大儀名文があったとしても、問答無用の構造

は同じわけなのだから、肉体判のパワハラ、ってことになるのだ。

暴力に価値を与えるのはいつでも問題があるんだけど、同じ暴力でも、双方が納得の上で

やるケンカのようなもんとか、理不尽なパワハラに対しての抵抗で思わず手が出た、って

言うならまだパワハラ暴力そのものよりはマシだろう。

で、パワハラ暴力が一番卑しい、って結論が出せたなら、今北朝鮮に対して、日米がやっ

てる行為もそれに当る、ってことをもっとトランプと安倍両氏は自覚するべきなのだ。




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