1/16のしゅちょう
            文は田島薫

(一期一会、について


一期一会、って聞くと、なんだかかっこいい響きで言った方もなんだか自分が高級な人間に

なったような気分にさせられるんだけど、こういった気取ったような表現は使い方や場所を

わきまえないと軽薄なやろーだ、って馬鹿にされるおそれがありそうだから気をつけたい。

以前、テレビで、白州正子がある老舗旅館に泊まった時、そこの若い女将が、自分は客に対

していつも一期一会の気持で接してます、って言ったのを聞き、後でそれが不愉快に感じた

って女史が言うのを見て、女将の方の気持もささやかなきどりをのぞけば正直なもんだった

んだろうけど、私にはなんだか女史の方の気持の方がよくわかる気がしたのだ。

それでもいい言葉には違いないわけで、ここでは私が軽薄なやろーだ、って思われてもかま

わない、ってつもりで思いっきりタイトルにさせていただいた。

先日、安い海外旅行へ行って来て、いろんな外国人ともひとことふたことふれ合ったわけな

んだけど、多分、これから先、その人たちと会うことは2度とないだろう、って考えると、

その一瞬一瞬が大切なもののように思えて来るわけで、そんなことを漠然と思ってた時、新

聞の読書欄のある小説の短い紹介を読み、そのテーマがつながったのだ。

その小説の女主人公がある時、列車で旅をしてる時、知らない男に話しかけられたんだけど、

その時ギリシャの話に熱中して読書してた彼女は、うるさく思い冷たくあしらった。ところ

がその後、その男はすぐに命を落としてしまい、彼女は衝撃をうけ、その時いて話した別の

男とけっきょく結婚することになり、娘が生まれ何年後かに成人し遠方に住む娘に、彼女は

会いたいのだが、娘の方は母親に用がないので会いたくないようだった、と。

多分その話のテーマは、人は目前の興味だけに気持を持っていかれてると、人生の大事なふ

れあいの瞬間を見逃してしまうことがある、って教訓なんだろう。

これは、一度しか会わないだろう人に限らないのかもしれなくて、たとえば、夫婦でも、私

はよくテレビを見てて、その中の話に気持が入ってて言ってることを理解しようと、耳と頭

を集中してる時、ふいに家人がそのテレビの内容に関連してたりしてなかったりする勝手な

思いを口にして話しかけて来るんで、こちらは双方をいっぺんに聞かなければならなくなる

時、一瞬、おいおい、うるせーなー、って思ってしまう時がよくあったんだけど、その時は、

なんとかちょっと待ってもらうか、生身の人間の方を優先した方がきっといいんだろう。

テレビにかぎらず、なんかもっと自分に大事な仕事のようなことをしてる時でさえ、きっと、

ちょっと手を休めて生身の人間の方に耳を傾けるのがいいんだろう。

人生のその時は、きっと一期一会、なんだろうから。




戻る