6/13のしゅちょう 文は田島薫
(批判と反批判、について)
40年も前、米国アラバマ州の農場で働く黒人への差別待遇について怒ったニール・
ヤングが歌にした一連の中のひとつに、アラバマ、って歌があった。
それに対し、ロックバンドのレナードスキナードが、スウィートホーム・アラバ
マ、って歌を作り、おいらの故郷アラバマはいいとこだ、って歌った。
当時の私はニ−ルに同調してて、わざわざ、それにこんな返歌するバンドのこと
を物事の道理が理解できない頭が悪い白人の代表のように感じてた。
ところが、数十年も経った先日、色んなロックなどの歌に関する話をネットで調
べてたところ、レナードスキナードは、どうも馬鹿ではなかったようだ、ってこ
とがわかった。馬鹿は私の方だった。
それはどういうことか、って言うと、彼らのその返歌の動機について、黒人差別
はいいと思ってるわけじゃないけど、差別しているのはアラバマのすべての人じ
ゃなくて、その何割かに過ぎなくて、それに反対してる者も多いはずなのに、そ
の連中の故郷を全否定しちゃ乱暴だろう、いいとこも認めてやろう、ってことら
しい、で、歌ってる当人たちはアラバマ出身じゃないんだって。
で、歌の中でもニ−ルの名前だしてるんだけど、彼に対しても反感を持ってるよ
りも、ファンに近いと言ってたらしく、ニ−ルの方も同じで、お互いのTシャツ
を着てステージに立ったりしたらしい。
批判はその存在の全否定になっては、将来の改善の希望がなくなってしまうわけ
で、大きな相手に対しては多少大げさな否定的表現があったとしても、その問題
点さえあぶりだされて改善に向かえられれば用は済むのだから、若かったニ−ル
も、ちょっと大きくくくって批判し過ぎたことを感じたのかも、それに、感情的
に反発するんでなくて(もともとその立場じゃなかったんだけど)、いいとこも
あるんじゃないか、ってのんきに返す立場もあるのが結果建設的なのかも。
思いきりの批判に、返す反批判ができる関係についてのそれは多分健全な表現活
動なんだけど、これが、疎外されて辛く弱い立場にいる人々そのものに向けて、
追い出しをしかけるような、※ヘイトスピーチやイジメはなくしたいもんだ。
※ヘイトスピーチも表現の自由のうちなんだけど、だれかの自由を奪う主張をする者には、
みんなでその都度わかるようにダメダシをして諭してやるのがいいだろう。
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