5/23のしゅちょう 文は田島薫
(嫌われる勇気、について)
心理学者アドラ−の考え方をまとめた「嫌われる勇気」っていう本が話題にされ
てるようで、今朝も心理学者たちの解説つきのテレビでやってた。
考えの概略を大雑把に言えば、自分の意に沿わない場合の人づき合いはやめる、
ってことならそりゃ、当り前のことだろう、って今の私には感じられるわけで。
とは言っても、人付き合いを無視してたらどんどん友だちは無くすは、周囲から
は変人の烙印押されて、日常生活に支障きたすこともありうるわけだから、じゃ、
その感じでやってみよう、って若い人々は苦労することになるかも。
私だって、若い時は他人の思惑が気になって、自分は一体どう思われてんだろ〜、
ってことばかり気にして、だれかが自分のことを、こ〜言ってたあ〜言ってた、
ってのを聞くとずっと悩んだり落ち込んだりしたもんだから、これを実行するに
はある程度の人生経験や諦観(?)のようなものが必要なのかも。
私ぐらいの年んなると(いくつだっ)、両親も亡くなり、自分だってもう先の時
間は限られてるな〜、ってことも実感するわけで、そんな中で、気の進まないよ
うなおもしろくもないような義理の人付き合いみたいなもんで貴重な時間浪費す
るのは愚かしいことだって思うわけで、他人と自分とは違う人格だってことだっ
てわかるんだし、自分と同じようにや意に沿うように他人が思はない方が多い、
ってこともわかるわけで、他人が自分に批判や拒絶を示しても、あ、そ、って、
それはしょうがないこった、って思えるわけで。
ところが万全の親の愛が当然と育った子供や若者は、他人からの拒絶に異常に反
応するらしく、ちょっとした親や先生や友人からの拒絶表現に絶望してしまうこ
とがありそうなんだけど、そんな時は、そうかそりゃそうだろ〜な〜、って思っ
て次の自分の成長につなげて行くのがいいはずなのだ。
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