3/14のしゅちょう
            文は田島薫

退行的国防論、について 2


この参議院選挙を安保法制廃棄に向けて野党が連合して戦おう、って方向に行こ

うとしてるのに危機感を感じたらしい安倍首相、せっかく国民の命を守ろうとし

て作った法をこわしちゃったら元も子もない、とかなんとか声を荒げていた。

その気持に多分偽りはないのかもしれないんだけど、もし、本気でそう考えての

政治活動を見せてるんだとすると、やっぱり前時代的な戦国時代かなんかの国防

のイメージにとらわれてるんじゃないか、って思わざるおえない。

自国の領地を分捕ろうとしてる敵国がいて、いつそれが攻めて来るかわからない

それがいつ来てもいいように、その敵国よりも優位な軍備を固め、敵国に怪しい

動きがあったら、先制攻撃も必要になるはずだから、それが自由にできる法体制

にしておくことが是非とも必要である、と、で、見回してみると、わが国の法の

大本である憲法は、わが不名誉な敗戦の折、敵国が作っておしつけられたもんで

ある、名誉ある国にするためには自国でそれを作り直さなければならないはずだ、

って、戦争をしない平和憲法、って言っても、現実には世界には戦争の危険がい

つもあるんだから、とっても不安だから、って調子なんだろう。

戦争がなぜ起るのか、ってことを自分も加害者になる可能性ってことも考慮に入

れてよく考えてみる、っていった今日の国際問題学者だったら常識のことを、安

倍さん一党にはやった経験が一度もないのかも知れない。

第一、国民の命を守る、ってさかんに連発してるわりには、見えて来るのは結果

的には、その逆ばっかりのようだし。

シリアでIS(イスラム国)に拉致されたジャーナリストの後藤さんら当人から国

が命ごいをされたのに、その上、ISからも身代金を払えば解放するなどの、交渉

の打診が何度もあったのに完全無視し、テロ組織とは交渉しない、などと勇まし

いこと言って見殺しにしたのがいい例だ。

憲法改正案の内容見ても国民を国家やその指導者の思惑に従わせるのが主で、い

わば守りたいのは国民の命よりも国家としての威信や誇れる経済力のようだ。

原発事故で悲惨な目にあってる避難民や増え続ける放射性廃棄物のことは見ても

考えないようにして、とりあえずなんとか破滅的危険性をはらむ原発でもどんど

ん再可動させたい考えのようだし。

国民の命を守る、ってことは、被災者ひとりあたり6800万円に当るらしい復興予

算を東日本に先日ぐらいの大津波じゃ軽く越えられちゃうとこもある防潮堤のよ

うなもんばっかり作って、まだ生活が成り立たないままなんとかしのいでる多く

のなんの落ち度もなかった被災者の補助金を打ち切ることじゃないはずで、不条

理に命の危機にある国民ひとりひとりを救うことなんじゃないのか。

そんなことより、いつも安倍一党の頭を支配してる国民の命を守る、ってイメー

ジは海岸で敵を力ずくで迎え撃つ勇ましい武人、ってような感じらしい。




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