12/26のしゅちょう
            文は田島薫

(マンウォッチングの楽しさ、について


年を重ねてくると、若い時には気がつかなかった世界の諸々のことが少しづつ分かってきて

私なんかは今より馬鹿だった若い時より今の方が楽しく感じてる気がするんだけど、それは

多分自分ひとりの世界に閉じこもってるだけだったら、そうもいかなかったかもしれない。

そしてだれでも、長く生きてればほっといてもいろいろ経験するもんで、それが多様な人ほ

ど、そういった世界の認識といったもんが豊かになるはずなんだけど、一概に世界と言って

その全てのことについて1人の人間が把握や認識することは不可能だろう。人にはその性格

や育った環境など好む対象も違ってくるだろうから、それぞれが諸々自分の好きな対象につ

いて鑑賞したり認識を深めて行く、ってことになるはずだ。

そんな当り前のことをいくら言ったって、読者からは、お馴染みの、それがどうした、って

ことになるわけで、ここでは一応だれでも避けては通れない、人とのかかわりについてのテ

ーマにしぼることにして、私の場合、若い時はやはり自分のかかえる将来への不安や予測の

つかない他人の自分に対する思惑などへの不安を常に抱えてて、酒をおぼえた時、大酒飲ん

で酔っぱらい、そういった気分をぶちこわしちゃ非難されることをくり返してたのだ。

それでもだんだん自分が信じてて他人もそうに違いない、って思い込んでたこと、例えば、

酒に酔えばだれでも、だれとでもすぐに友だちになりたいはず、とか、だから、どんな乱暴

な言葉を吐いても、そのシャレは必ず通じるはず、といった、まさに泥酔状態の時に、自分

が感じたことを実行しちゃ失敗してたのだ。

どうしてそうやって自分と他人はわかりあえないのか、ってけっこう長い間悩みながら本も

読み、冷静に友人知人やただの仕事上のつきあいの人やテレビの中の他人を観察して考えて

るうちに、少しづつ、他人は自分とは違う人生を歩んで来ていてそれぞれの立場や都合を持

ち自分とは違う価値観を持ってるのだ、ってことがやっとわかって来たのだ(知恵遅れか)。

そうか、条件が違うもとで、いきなり奇なことを言ったりやったりすると人は戸惑うのだ、

って(やっぱり私は知恵遅れかも)。

それでどんな自分と異質に見える相手にも一応の敬意を忘れず、冷静に人々を観察するよう

になったら、いろんなことがおもしろく見えて来た、ってわけなのだ。

特に年をとると、自分の価値観を絶対化してゆずらない、って頑固な傾向も出てきて、新

しいものを受け入れにくくなったり、自分以外の人間をどっか批判的に見てしまって、他

人の内面までの興味も関心も理解にも届かないことも多い、ってことが。

で、自分の方もそういった先入観ぬいてじっくり人を観察すると、若い時ならほとんど気

づかなかったような発見があっておもしろい、ってことが。




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