短文宣言
ココ通とつきあって10年を越す。
毎週なにがしかの記事を書くということはたいへんなことである。
現役のころは話題にことかかなかったが、隠遁生活にはいると世間との接触もへり話題に
こまる。
政治ネタならばいくらでも書けるが、毎回人とちがったことを書くのもたいへんだ。
先日書いたものは、ほとんど同じ切り口で新聞2紙に載っていた。本質にせまれば考える
ことは本職も素人もかわりはない。こうなると埼玉県のうもれる知性ココ通は不利である。
「あいつ、新聞の引き写しじゃないか」と言われるのもしゃくである。
そんなことで悩んでいるときにクボセンセーの、「今後ケータイで送るから短文になる」
との短文宣言を読んだ。これは、みじかい文章で意をつくす「一筆啓上火の用心」である。
しめた、これでいこうときめた。しかし、そうなるとモドキさんの力作以外はクボセンセ
ー、尾形歌人、シャン生と三人で三行となる。これではココ通もさびしくなる…、と行き
ついたのが写真である。
写真なら撮りおろしでも在庫でも、みじかくキャプションをつければ毎回ページはうまる。
というわけで、先週行った館山は鏡浦の夕日。
写真はありのままを写すが心象を表現することはむずかしい。落日をみて来し方を想う人。
明日への想いをこめる人。そのけいしょくから、なにかを、だれかを連想する人もいるだ
ろう。
シャン生の心象はあかさない。連想したことはたしかだが…。 |