わすれたものは…
世にいう断捨離ではないが、かたづけものをはじめた。
なにしろ自分をふくめて四代の写真が手もとにある。
現役のころ「おまえ、写真をやっているなら興味があるだろう」と、親戚中からあ
つまったものだ。
三代まではともかく四代前となると直系以外だれがだれだかわからない。明治初年
から大正にいたるものなのでめずらしいからと大切にとっておいた。
そろそろ自分も先がみえてきた。
次の世代にゆずろうと声をかけたがだれもいらないという。いまの子は自分のルー
ツに興味はないらしい。いまのままほうっておいてもいいのだが、しょうらい家庭
ごみで捨てられるのもいやなので自分で燃やしてしまうことにした。
いままでなんどもカタヅケモノということをしてきたが、右のものを左にするだけ
ですこしもかたづいていない。こんかいかたづけるにあたってひとつの決心をした。
「わすれていたものは、無いこととおなじである」これは、すっかりわすれていた
くせに出てくると「あっ、こんなものがあった」となつかしがることやめることで
ある。こういうものをとっておくといくらかきまわしても整理にならない。わすれ
ていたものは処分する、との一大決心をしてはじめたことであるが「あっ、こんな
ものがあった」がぞくぞくと出てきてこのさきどうなることやら…。
はなしはとぶが「わすれていたものは、無いこととおなじである」は、個人のばあ
いはいいが、歴史にこれをあてはめてはいけない。
きょう週末世論調査の結果が発表された。結果は安倍政権支持が圧倒的である。過
去の悪政をぞくぞくと復活しようとしている安倍政治を支持するということは、国
民がすぎさった暗い時代をわすれているからにちがいない。わすれていたことに後
悔する時代はすぐ先にみえている。いまからでもおそくない。歴史を思い返そう。
大切な事はわすれないで、そしてわるい意味でなつかしく思おう。
「わすれたものは…」大切なことなのです。 |