11/2のしゅちょう
            文は田島薫

(短気と戦争の関係について 2)


短気による怒りはいつも中心に「正しい自分」がいてそれに反する「間違っている他者」

に向けられる時に起きるんだけど、だれでも人間は不完全なのに、われわれはお互いに

それをくり返してるわけで、これが日常生活の中のことであれば、多少のそれはあった

方が人生の変化や愛きょう、ってぐらいのもんなんだけど、それが異常に激しすぎてだ

れかの命にかかわったりするんであれば、呑気なことを言ってられないだろう。

相手に対する期待が大きいために起る見てすぐわかるようなさっぱりした怒りよりも、

問題が多いのは表面に出ないで隠された一見冷静そうな中で熟成されるような怒りなの

かも知れない。

たとえば、ある日本人女性に麻薬の運び屋を疑って死刑判決をした某国。麻薬による国

民の悲惨を見て絶対許さない、って怒っての法律なのだろうし、運びを成功させたこと

によってそれを消費して体や家庭を台なしにする被害者が出たり、次の密輸が行われた

り、って弊害を防ぐ目的もあって、その女性が本当に知らずに運び屋の役をやったかも

しれない、ってとこまでは忖度するより、厳罰で見せしめにしたいのだろう。

私も麻薬の野放しがいいことだと思ってるわけじゃないんだけど、わが国ならその背景

をきっちり調べ仕掛け人を徹底調査するだろうし、仮に当人が有罪だったとしても死刑

までの重刑にしないだろうけど、それぞれの国でその断罪レベルも違ってくるのだ。

何カ国かあれば、それぞれが独自の価値観や正義感を持っていて、こっちの国ではなん

でもないようなことが、あっちの国ではとんでもない反道徳的なことになったり。

だから、他国やそこの国民に対してなんらかの怒りを感じた時は、価値観の違いについ

ても考慮して、とんでもない国だ、ってすぐに怒ったりしない方がいいのだ。

シリアじゃISと政府軍と反政府軍、反政府軍を支援する米軍と、それに攻撃するロシア

軍と収拾のつかないごちゃごちゃの内乱状況になってるんだけど、それの大本の原因を

作ったのは米国の短絡的アフガン攻撃とイラク攻撃だったのだ。

今考えると、問題点も多かったとは言えサダム・フセインは強権誇示した独裁によって

各民族をうまく仕切って今のイラクよりも平和を保ってたのだし。米国や欧米や日本は、

攻撃なしの平和外交でもっとイラクや周辺国の平和や民主化に貢献できたはずなのだ。

いつもまずいのは正義感をかざす怒りで短絡的に他国を敵視することなのだ。

先日、沖縄基地移転問題で保守系サイトを見てみたら、そこでは若者たちの多くが安倍

政権の政策を支持してて、中国のような危険な国からわが国守る必要、ってそれが常識

とばかりに異口同音の饒舌が並んでたんでちょっと呆れたんだけど。

一部の若者は自分の頭で考えるより先にわかりやすい短絡的敵視情報とすぐに同化して

しまう傾向があるのだとしたら、ちょっと考えをリセットして、短絡的な阿呆防衛論に

固執する前に、さかんに行き来してる日本製品や観光や若者文化が大好きな中国人や韓

国人に好意を持ってみることをお勧めしたい、世界平和の一歩として。




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