6/9のしゅちょう 文は田島薫
(だれかのためにやる力について 2)
前回、同じタイトルで文書いたんだけど、昨日、図書館で借りてきた「ニーチェの言葉」
ってのを読んでたところ、「〜のためにやるのはいかん」って真逆のタイトルがあって、
私も前回、〜のために、って書きながら、ちょっとひっかかる気がしてたのを、ずばり
と指摘された感じだったのだ。
私の文の趣旨は間違ってないとは思うし、友人たちのイベントは純粋な「愛」から出た
もんで自然に体が動いた、ってニーチェも認める(?)形だったんだけど、私がタイト
ルで〜(だれだれ)のために、って表現をしちゃったために、ひょっとすると読んだ人
の中にはその意識が全面に立っちゃう危険があるかもしれないと思い直した。
その意識が強いと、してやった、って気持ちがどっかに残って、相手に対し、無自覚に
恩着せがましい態度を取ってしまうかもしれないし、感謝の反応を期待してしまうかも
しれない。もし、少しでもそういう気持ちを相手が察した場合、その行為全体の価値が
消えてしまうこともあるのだ。たとえば、子供が親に「養ってあげてる」ってようなこ
とを言われた時のことを考えてみればわかるだろう。
〜のために、何かしてやりたい、って心から思ったとしても、けっきょくそれは〜のた
めになることをしてあげたい、ってことのわけだから、〜のためにやっちゃいかん、っ
て言われると、どうしていいかわからなくなっちゃうだろうけど、〜のためなんだけど、
決して、〜のためじゃなくて自分がそうしたいから、自分のためだ、って思うのがいい
んだろう、だから、結果が自分の想像してたものと違ってても気にしないのがいいのだ。
とにかく自分でいいことだと思ってやってみよう、ってやったことはすべて自分にとっ
ていいことだ、って信じてればいいのだ。
けっきょく、「情けは人のためならず」ってことで、すべて自分のためになることだ、
人はなんでも「自分のために」やってる、ってことを忘れちゃいかん、ってことなのだ。
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