思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーから、無責任で軽薄なお祭り騒ぎ国民へ一言。
娑婆では、いま
ココ通をさぼって出かけ、娑婆にもどってきたら二つの話題でもりあがっていた。
ひとつはノーベル賞。いまひとつは東京オリンピック50周年。
赤崎、天野、中村の三氏がノーベル物理学賞を受賞した。いずれも青色LED開発の功績
による。しかし、世の中もろ手をあげて喜んでいるわけではなさそうだ。どうも中村氏の
評判がイマイチだ。中村氏は数年前自身が勤めた会社を相手に巨額の成功報酬を要求する
裁判をおこし有名になった。かたや赤崎、天野の師弟コンビはともに大学教授。世間の金
銭話とは縁が遠い学究の人。露骨に金銭を要求する人は日本人に好かれないようだ。
「これだけ働くからこれだけくれ」あるいは「これだけ働いたのだからこれだけくれ」と
言う事は悪いことではないと思う。日本はあいかわらず「これだけやるから働け」の世界
だ。「働け」の前に「これだけ」がつかないから労働時間が無限にひろがり、ブラック企
業や過労死があたりまえになる。
ノーベル賞を喜ぶのもけっこうだが、赤崎、天野両氏が正当な報酬を大学から得ているか
もふくめて自分の足元を見るのも大事なことだ。
東京オリンピック50周年。あちこちのテレビ局で懐古番組をながしている。開会式をは
じめ主要競技のダイジェストを見ているうちは懐かしさにひたっていたが、オリンピック
開催のための都市破壊を見ていたら腹が立ってきた。そこには汚く貧しいけど、たしかな
生活のある昭和30年代の風景が映し出されていた。緑あふれる青山通り。いきいきとし
た生活があふれる「オリンピック道路建設反対」の看板がある住宅街。行政は有無を言わ
せずそれらを破壊して無機質な欧米まがいの都市を作り上げた。運河は高速道路と化し、
東京、いや日本のシンボルのひとつ日本橋の景観を台無しにした。このように都民から故
郷を奪ってまで開催したオリンピックにどれほどの価値があったのだろうか。
今度の東京オリンピック開催のために、行政はどのくらい都市破壊をしたら気が済むのか。
せっかく50年かけてつくりあげた景観をこわさないでもらいたい。