●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

さみ〜よ〜。たえちゃんとこの被災報告シリーズの2だす。



被災地の隣にて その2

職場の建物を出たのが16時過ぎくらい。

街はまだ日があるので明るかったけど、停電していた。信号のところでは、警察が交通

整理をしていた。お隣の店には店員さんがいなかったように見えた。コンビニにはたく

さんの人がいて、薄暗い中買い物をしていたようだった。


帰宅するらしい人がたくさんいたように思う。激しい雪も降ってくる中、以前一緒に働

いていた子に会った。駐車場のゲートが開かなくて、車を出せないらしかった。信号も

止まっているし、停電もいつ復旧するか分からないし、火事の情報もあったことから、

今日のところは車をそのまま置いておいて、歩いて帰宅することを勧めた。お互いに

「気を付けてね!」と言って別れた。

信号が機能していないので、横断歩道を渡るときには、とても気を使った。それでも、

車を運転している人たちは皆、譲り合って安全運転をしていた。ここに日本人の秩序だ

った素晴らしい姿を見たように思う。


自宅に着いて、すぐ懐中電灯とラジオ、非常食の準備をした。余震は続いていた。

お水と乾パンは常備していたし、缶詰もすこしあった。トイレットペーパー、厚手のタ

オルなども準備した。それから避難経路を確認した。停電してテレビの情報が入らない

ので、ラジオを聞くしかなかった。その時は、宮城県で大きな地震が来たということし

か分からなかった。夫も間もなく帰宅した。その夜は茶の間で寝るつもりで、動きやす

い服に着替え、毛布も準備した。とにかく、家にいられなくなることも想定して、避難

する準備をしていた。

水道とガスだけ使えることを確認したので、日のあるうちにお湯を沸かし、お粥とゆで

卵を作って、家にある食料を確認した。余震が来るので、調理中もガスを点けたり消し

たりした。この先どうなるか、全くわからなかった。ラジオ以外に情報を得ることがで

きないのだ。停電していたけど、気温が低いので、どうにか3日は持つだろうと思った。

食料もお米だけはあるので、ガスと水道さえ使えれば、醤油と味噌で一週間過ごすこと

を考えていた。

そうして停電したまま日が暮れてしまい、懐中電灯とラジオだけの時間が始まった。山

形市内でも避難した人がいるという情報も入ってきた。とくに新興住宅地はオール電化

の家が多いせいか、避難所に来ている人数が多かったように感じた。(オール電化の住宅

では、停電すると一切お湯が沸かせないので、カップラーメンすら食べられない)


電気が無かったので、とにかく寒かった。腰にカイロを貼って、コートを着てスキー帽

をかぶって手袋をして、横になった。緊張と寒さで、ガチガチだった。


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