11/22のしゅちょう             文は田島薫

(政治家の失言について)

法務大臣が地元に帰り、後援者の会で、法務大臣の国会答弁は楽でいい、ふたつの文句

だけ使ってればいい「個別の案件には答えられない」と「法にのっとって処理する」の、

って言って、それが報道され、野党はここぞとばかりに問責決議にするなどと大騒ぎ。

しかし、これって、それほど目くじら立てて非難するレベルの話なんだろうか。

第一、自民党政権のころから、国会答弁で歴代法務大臣はその通りの答弁をくり返して

るわけだし、彼は正直に現状を揶揄したに過ぎず、自分にも向けてるわけだから、それ

はジョーク、って取るのが真っ当じゃないのか。多分英国なんかでは、笑っておしまい

になる程度の話のはずだ。

これを、生真面目に取って、なんていい加減な仕事をやるやつだ、適性どころか、政治

家としても人格に問題がある、ってぐらいまで言っちゃっていいんだろうか、そう言う

あなたは、相当の人格者なんでしょうね〜、って、顔を凝視してみても、それほどの人

物にはとても見えないわけで。

本当だったら、彼はジョークの形で言わば問題提起した、って取る方が納得が行くはず

なのだ、だって、それを言った後での国会答弁で、それを指摘される可能性が高いわけ

で、そこで、その国会の質疑応答システムの役人依存過剰の問題点などが浮上すれば、

政治改革のきっかけにもなろう、ってもんなのだ。

それを、内心助かった、って思いながら、同じことをやってる人間は政治家の適性があ

る、ってことで見のがされ、その矛盾を指摘したものがみんなに叩かれる、って矛盾。

ふたつだけの言葉で済む、って政治全般をそのように要領よく乗り切って行くだけで、

自分は政治に情熱も努力も傾けるつもりはない、って思ってる政治家がその通りに言っ

て後援者たちに支持されることがありうるだろうか。

そんなこと思ってる政治家は少なくとも、その本心は黙ってるに違いない。だとすると、

矛盾するシステムに、黙って従うだけの政治家の方が適性や人格に問題がある、ってこ

とにならないだろうか。

重要案件の審議の時間までつぶして、とにかく政敵を貶めることにだけ全力で張り切る、

って品がないし、相手の人格まで否定しちゃう失礼の方が、自分をからかう軽口よりも

失言、ってことにならないだろうか、もっともみんなでやってるから恐くないんだね。




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