9/28のしゅちょう 文は田島薫
(打たれ強さについて)
打たれ強さ、って言うとボクシングなんかを連想すると思うんだけど、今回は言葉に
よる攻撃についてのそれを、ジャーナリストの田原総一朗さんが新聞の若者向けコラ
ムに書いてて非常に共感したもんで、受け売りと、私の感想も追加してご紹介を。
まず田原さんの話の概略を。それの打たれ弱いのはまずエリートたちで、優秀な官僚
たちなどは、間違いを犯さないことが前提になってるために、自分たちのやってきた
ことに対して批判をかたくなに受け入れず、判で押したような弁解をする、って。
でも、底の底から這い上がってきた自分は、失ってもともとなんで、打たれ強くなっ
た、と。自分に対する批判する人は今でもたくさんいるけど、その人たちは自分に関
心を持って読んでくれ、能力と時間を費やして書いてくれるので、嫌いになることは
なく、自分の気づかなかった視点を教えてもらえ感謝をしている、と。
打たれ強くなるためには、物事は一面ではないと肝に銘じることだ、と。自分の方が
正しいと思い込む人は意外に多いけど、反対意見も取り込むつもりで心を開かなくて
はならない、と。そうして、国際化した社会でも違った立場の人間と意見を戦わせる
必要が増すけど、基本は謙虚に正攻法で譲らないところは明確にしつつ、冷静に戦略
を練り、双方にとってより良い着地点を探すようにいい提案もすることだ、って。
そうなのだ、田原さんの指摘する通り、自分の意見の方が正しい、って「思い込んで
る」人は私も含め意外に多いのは、私自身の経験からもよくわかる。
私自身も人からの反論に、けっこう腹を立てたりすることが多かったんだけど、だん
だん年の功か、人には立場でいろんな見方がありうるんだ、ってことがわかって来て、
そういうことが少なくなって来てると「思い込んで」いて、で自分のことは棚に上げ
て言うと、たしかに、複数の知人については、今だに、ちょっとした私の反論にも興
奮したり頭ごなしに決めつけたりで、その後耳を貸そうとしない、って状況に、しば
しば出会う、ま、いつも私の意見には問題があるせいなのかもしれないけど、どっち
にしても、意見なのだから、とりあえず最後まで言わせて、冷静に反批判をすればい
いはずなんだけど、出発点から、正しい意見の自分と間違った意見の相手、って立場
の思い込みをくずせない、って人が、ほんとに多くいそうな気配なのだ。
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