2/23のしゅちょう 文は田島薫
(貧乏の力について)
金持ちと貧乏とどっちになりたい?って聞かれれば、おれは断然貧乏の方だな、って
言う人は少ないと思うんだけど、けっこう適度な貧乏の方が幸福度が高いようだ、っ
てことは、いろいろな人々の事例を見聞きするほどに実感する。
人がきょう食べるものもない、って言ってる生活に対して、けっこう幸福だろう、と
は言えないだろうけど、粗食だけど食べるものはあって屋根のある場所で寝起きはで
きる、ってだけのような東南アジアなどの貧しい地区の子供達が明るい笑顔で幸福そ
うにしてる図をよく見かける代わりに、世界の金持の家庭の子供たちはたいてい暗い
無表情をしてることが多いような気がする。
それはなんでか、って言うと、貧乏の方はたいていいつも何かを渇望してて、腹もへ
らしてるから、欲しかったほんのちっぽけなものでも手に入れた時はとてもうれしい
だろうし、腹ぺこで待ち遠しかった食事の時間は何でもとても美味しい。
そして、なにも持ってないし、欲しいものがなかなか手に入らないわけだから、もし
手に入った時のことを夢見てる間も想像力が豊かに育つし、実際に手に入れた時も幸
せなわけで、その幸せのモトを沢山持ってるってことなのだ、なにも持ってない、っ
てことが、いっぱい持ってるってことだ、っていう不思議。
それに比べ、いつでもなんでも買ってもらえる金持ちの子供にはもう欲しいものは、
ほとんどないかもしれない。欲しいものを夢見る喜びもどんどんマヒしちゃうか元々
知らないから、手に入ったものの有り難みも感じないもんですぐに飽きる。
大人だって広大な豪邸に置物やらプールやら各種豪華調度を取り揃えてても、訪問し
てくる友人がいない時は、退屈だし寂しさもより増大するだろう。
それに比べ、貧乏だったら、ほっといてもとなりの家とくっついてるもんで、よっぽ
ど偏屈でない限り、友だちに不自由はしない、ってわけでいいことづくめ(?)。
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