11/25のしゅちょう             文は田島薫

(自由主義について)

米国でオバマさんが次期大統領に決まり、福祉政策や金融恐慌の対策として自由市

場に公共政策を強化するのではといった憶測に基づいて、ある米国経済関係者が、

日本のテレビインタビューに応え、そういった施策に反対を表明していた。

その男は自由主義経済の、自由、って言葉を潤んで酔うような眼差しで、熱を込め

て訴える。自由競争でそれぞれが伸び伸びと経済活動をする素晴しさ、それを縛る

のが、大きい政府による管理経済、って。社会主義のソ連が崩壊し、同じく中国も

どんどん自由主義経済を取り入れてる、ってことで、あたかも自由主義経済の有効

性だけが実証されたかのように思ってる人が多いようなんだけどしかし、ちょっと

それは時代認識がずれてるんじゃないか、って思った。


確かに、自由主義市場経済は、物質の大量生産大量消費といった面では人々を豊か

にして来た面はあるだろう、しかし、世界レベルで考えると、その恩恵に浴してる

のは世界人口の多分4分の1以下で、豊かだった農業国の無理矢理の工業化や一部

の商業資本による輸出用プランテーションで国土を荒廃させられたりの後進国の不

幸の犠牲の上に成り立ってる面があるわけだし、そういった搾取される国とする国

の経済格差は、自由競争のままなら縮まらないわけだし。

米国内でも日本国内でも同じなんだけど、自由主義経済を強調する人間はたいてい

すでに経済的に成功しているか、まだ学生やぼんぼん上がりで世の中の厳しさ知ら

ないかどっちかで、世の中出てて言ってる人も、ほんとに貧乏のどん底から自分の

努力で伸し上がった人も多いはずだけど、それでも、例えば高度経済成長時代やバ

ブル経済といった時代の波にたまたまうまく乗れた結果だろう、とも言えるのだ。


今の時代を見てみよう、自由主義経済のうたい文句のまま、効率だけでもうける企

業やその役員たちの所得は野放しに上がり、代わりに、不況や、海外の格安労働力

確保や、技術革新のたび、リストラといったきれいな言葉で、下請けや本社の余分

だとされた社員の首が切られ、巷に失業者と、生活もできないぐらいの時給で雇わ

れる人々や、生活不安を訴える人々はどんどん増え、その所得格差は広がる一方で、

後は野となれ山となれ、って、だって自由主義経済だから、って言いながら。


自由、ってものは、まず、機会の平等、ってとこから始まるべきもんだろう、生ま

れた家の経済レベルで将来の成功にハンディがある、ってアンフェアも自由だ、っ

て言う者は、重いハンディ負った人間がそれに賛同するかどうか、考えよう。




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