1/7のしゅちょう 文は田島薫
(自分を知ることについて)
世間を批判的に見て言いたいこと言って、自分はなかなか鋭いかも知れない、
って私も含め、だれもがそう感じてるんだと思うんだけど、けっきょく、自
分の生活圏や受けている情報について、だれでも勝手に感想や意見は持てる
わけだから当然のことだし、自分が直接かかわらないことに関しては、傍目
八目ってわけで、外からは、けっこうよく理の判断がつく。
それにくらべ、自分が直接かかわってる問題に関しては、知らずに自分の方
の都合が優先されて来てなかなか正当な判断がつけにくくなることはだれに
もあるもんだから、それをよく自覚してる人は他人に相談するんだけど、多
くの人が自分の判断の片寄りに気がつかず、勝手に主張して、傍から見てる
人においおい、って批判されたりする、ってわけなのだ。
で、自分と関係ないことに関しては理の判断がつく、って言ったんだけど、
よく考えてみると、自分と関係ない、って感じてることには、けっきょく、
第三者である評論家的な発想になって来るわけで、じゃ、その事に関して、
自分はどう対処するのか、どう対処しているのか、ってことが抜けてる場合
もあるかも知れない。
厳密に言えば世の中や世界と自分とはだれでも関係で繋がってるわけで、例
えば人の命の尊さを訴えるんであれば、今世界で、毎日、貧しさで医療や食
料不足のために命を落とさざるおえないおびただしい数の子どもに対して、
自分は何をやってるんだ、って、自分が今、ちょっと贅沢をしたい気分の時、
その子どものことを思い、それをとりやめて、その分の費用を寄付に回す、
なんてことを、はたしてやれるのか?っていった矛盾とか。
人に、こうすべき、って言うことは簡単なんだけど、例えば、身を捨てて社
会奉仕してる人々にくらべて、私は呑気なもんだ、ってことを感じるわけで、
そんなわけで、自分のすることを本当に自覚したり悟ったりする道は遠いの
だから、考え続けて行きたいもんだ。
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