6/7の主張             文は田島薫



(社会の仮想現実化について)

先週、人を殺してはいけない、ってことを書いた翌日ぐらいに、小学生が殺人した。

パソコンチャット友だちで仲良しの同級生からいやなことを書かれたせいらしい。

大人たちはなんでそんな理由で、しかもまだ小学生なのに、ってみなびっくりしている

ようだが、考えてみれば同じようなことが、最近ではあたりまえのように、大人の

世界で起きているわけだから、大人でさえやることなら、精神の未発達の子供なら

なおさら起きて不思議はない、とも言えるのだ。


殺人も自殺も、現実社会への絶望感から起きるとすると、現代のわが国は大人だろうが

子供だろうがそういった気持ちにさせてしまう欠陥が社会にあるってことだ。


わが国の人々は全員朝から走っている。

父親は家のローンや子供の学費を払うために、上司の指示のまま仕事に明け暮れ、昨夜も

遅く帰って来て家族の顔も見ず、今朝も早く駅へ走って行った。

子供は両親からいい学校へ進むことが幸せな将来の絶対条件とばかり、責められながら

勉強一筋の価値観を強制され、親子の暖かな会話をする暇もないありさま。


大人も子供も今の生活より、わけのわからない明日の豊かな生活のため、っていった

妄想にとりつかれ、まわりの友人とのつきあいも、どっか気がそぞろ。


顔は笑ってるんだけど、ほとんどお世辞つきあい、本当の気持ちを表現しあう相手はいない。

顔を突き合わせると言えないことも、チャットやメールならわりあい気楽におしゃべり。

でも、それにも知らないうちにルールができて、妙に軽い表現パターンに、自分の気持ちを

乗せるだけ。

やがて、相手が本当の気持ちをわかってくれるかも知れない、と考え、ちょっとなれなれしい

ことを言ってみると、文章だけの世界では真意が伝わらないで、そのマイナス表現だけが相手

の気持ちをえぐる。


だめだめ、仮想現実はあくまで仮想現実なのだ。

親と子供、人と人、面と向かって、きちんと気持ちを伝え合おう。




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