連載●文はクボユーシロー
ユーシロさんのちょっと知人の話 4
(大沼さん)
大沼さんの年賀状が戻ってきた。大沼さんと出会ったのは15年ぐらい前である。
それ以来年賀状だけの付き合いであったが、彼からの賀状はいつも
素敵な木版画で毎年楽しみにしていた。
それが昨年は彼からの賀状がないばかりか、こちらの出したものも
「宛先に不在」という付箋がついて戻ってきた。
私の高校時代の同級生(野本希望)が長野の山奥で廃屋を借り陶芸をやってると聞いて、怖いもの見たさでのこのこ見に行った。その時
野本に紹介されたのが大沼さんだった。
大沼さんは野本の所から車で30分ぐらいの池田町に住んでいた。野本の所と違って大沼さんの家は畑と民家が混在する平地にあった。
しかし、その家もすごいあばら家で外と室内の境が破れ障子だけ、
農家が物置にしていたのをただで借りたらしい。
大沼さんの詳しい過去は知らないが、彼は茨城出身で若いころからある美術団体に所属し賞も取り未来を嘱望されたが、何かトラブルが
あり70年代に長野にドロップアウトしてきたらしい。
年齢も聞いたことが無かったが元気なら(年賀状が戻ってきただけで彼の事を悪い方に決め付けてはいけない)60歳ぐらいか。
大沼さんは池田町でもいろいろな創作活動をやっていた。中でも木口(こぐち)版画という椿の木などの年輪部を細密に彫り墨で刷った
版画は彼のライフワークのようであり、近くの松本市などでもよく
木口版画の個展をやっていた。彼に対し地域の人々も親切で公民館の
絵画教室講師のアルバイトを紹介したり、生活のサポートをしていた
ようである。
大沼羽仙先生。このページを見たら電話ください。 (次回は権さん)