6/26のしゅちょう
            文は田島薫

戦争を止める方法、について 59


ロシアの民間軍事会社のワグネルの代表プリゴジンさんが婉曲にプ−チ

ン大統領に、前線での兵士たちの命を粗雑に扱ってる、ってことでロシ

ア軍に怒りの反逆攻撃を仕掛けてから、ロシア人同士の命を考えモスク

ワ進軍を中止したようだ。

自分の身の危険と勝算を計算した結論とも言えるんだろうけど、前線で

身を持って自分が管理する兵士の生死に立ち会っての正直な怒りからの

行動だったんだろうとだれでも想像がつくはずだ。

だれだって自分が死ぬことはもちろんだし、自分の属する仲間の死は避

けたい、って思うのが人情だろう。

それなのに、戦争となると、敵は殺してもいいもの、って気持になるの

は、いつも自分の方を正当化し、相手は悪い害悪をもたらす敵だ、って

信じることによってなのだ。

今回のウクライナの立場としては、他国のロシアがいきなり自国に軍事

侵略してきたのだから、それを排除するために戦うのは愛国者の当然の

義務だ、ってことで突き進んでるわけで、一方、ロシアの方は、軍事侵

攻したのは、西側の軍事同盟に加わろうとする危険なウクライナ政権が

やがてロシアをほろぼすつもりだからやられる前に手を打ったのだ、っ

て理屈を主張してるのだ。

古典的発想や現在の国際ルールの特に西側の観点から見れば明らかに、

ロシアが間違った侵攻をした、って言えるんだろうし、それを主張して

も悪いことはないはずだけど、問題はだからと言って、ウクライナの戦

争継続に正当性があるのでそのまま続けさせればいい、ってことにはな

らない、ってことなのだ。

なぜなら、ここで何度もくりかえして言ってることだけど、ウクライナ

の国土の大部分かひょっとしてすべてが焦土になり、国民の大部分かす

べてが難民か死ぬことになったとして、国を守るための正義をつらぬい

たのだからそれでいいのだ、ってことになるのか、ってことなのだ。

国、ってものを守る、ってリーダーはすぐに口にして安心してるような

んだけど、国、ってそもそも何なんだ?農作物や産業を生み出す土地の

ことなのだろうか?その土地さえ残れば、そこで生きるはずだった人間

たちが死に絶えたとしてもいい、ってことになるのかどうか。

そもそも、国、ってものは人間がいてそれの安全と生活が守られてこそ

価値があるものであって、その肝心な人間の命が危険に曝される情況は

あってはならないわけで、政治家はそこを守ることに全精力を捧げるべ

きなのだ。

国土を要求する国にはその理由を尋ね、もしそれが国民の幸福に寄与す

るかもしれないなら、それを一応聞き入れてもいい、ってぐらいに柔軟

に対応するし、問題があれば、正直な意見の折衝を続けて、妥協できる

ところで妥協して、戦争を避けられたならそれの方が多分、正義を謳い

ながら家族や友人が死に絶える情況より、幸せ、ってもんだろう。




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