老いるということ
最近、老いるとはこういうことか、と考えさせられることがあった。
91才の一人暮らしの義姉が自宅のマンションの一室で熱中症にかかって
しまった。
ご近所の方の機転で発見され、なんとか手当をして回復することができた。
だが、91才の年寄りにはこの事件はあまりにもダメージが大きく、とて
も以前のようには一人暮らしを続けることはできない。
ケアマネージャーの協力を得て、高齢者施設を見つけ、なんとか落ち着く
手配ができたのは幸いだった。
義姉は独身でずっと一人暮らし。
22才でアメリカへ一人で渡り、誰にも世話にならずに独立独歩で人生を
歩んできた誇り高い女性である。
82才で帰国し、これからもずっと己の生き方を貫くつもりであったろう
その証拠に、帰国後は日頃心を開き親しくする人を誰も作らず、自分の健
康と自立精神だけを頼りに生きた。
だが、このたびの熱中症を引き金に義姉は急速に衰えた。「食べる」「排
泄する」「眠る」といった生きる基本も自力でできなくなった。
高齢者施設に入るしか生きる方法がない。
だが、誇り高く自立心の強い義姉にとって不自由な団体生活を送ることは
不本意なことだろうが、そんなことは言っていられないのだ。
そして必然と言うべきか、神からの贈り物というべきか、今回の事件で、
義姉は少しボケが入ったようでボンヤリしている。
私は思うのである。
これはむしろ今までの誇りから解放される自然の摂理ではないだろうか。
今流行りの”孤独のすすめ”とか孤独は知性””おひとりさま万歳”なん
て言ってる場合じゃない。楽な平穏死を目指すなら自分を縛っていた「あ
るべき自分」という意志から解放されなければ、と。
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