●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、もどきさん、静かな場所で命について想いました。



緑の丘にて


そこは高台にあって、緑の森を広く切り拓かれた墓地である。

近くに高速道路が走っているが、ここだけは別世界のようだ。

ぐるり360度見回しても、遠くに緑の森が、頭上には青い空があるだけ。

ときどき鳥の鳴き声が聞こえる静かな墓地である。

その日、私は友人とその友人の娘さんの七回忌に詣でたのだった。

亡くなった娘さんと私の娘とは同級生であった。

子宮がんであまりにもはかなく命が散ってしまった。若い人の墓前にお参りするの

は悲しい。

思い出を語りながら、お線香をあげ、お花を添えた。

祈りの後、私は再びぐるりと空を見上げ、遠い新緑の森を見つめた。

「手をつないで一緒に幼稚園に行った時の姿が昨日のようだわ」

と言うと。

「人の命はわからないものね」

と友人が応じた。意外とサバサバした言い方で安心した。

お参りを済ませ、墓地の一角にある大きな石の仏像の所に立ち寄った。

そこだけは仏像を守るように大きな二本の楓が植えられている。

この時期、赤い葉の楓とみどりの葉の楓。そのコントラストが美しい。

赤い葉の方はその色から柔らかな安らぎの美しさを見せ、緑の方は葉の濃い影と照

り映える葉とのコントラストで、躍動感を見せている。

楓は「もみじ」と言われるように秋には落葉する。なぜ落葉樹を植えたのだろう、

と、ふと、疑問がよぎる。

もみじは秋の紅葉の時期の方が好まれ、美しく紅葉して潔く落葉する美しさから、

まるで人生最後の輝きのシンボルのように愛でられるのだ。

その疑問を友人に漏らすと、

「紅葉の後、葉を落とした木には、すでに次の命を育んでいるからね」

と応えた。


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