●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、昭和歌謡を見直しました。



歌は世につれ・・・


私は朝起きると、習慣的にテレビをつけチャンネルをNHKに合わせ、時計代わりに

している。

先週の朝、古関裕而をモデルにした朝ドラの最終回で、彼が作曲した歌謡曲のコン

サートが放映されていた。

代表曲が次々と出演者によって歌われ、画面の下には歌詞が出る。

思わず引き込まれ聞いていると、懐かしいような、心を揺り動かすような、とても

しみじみとした気持ちになった。

何故だろう?

私がその時代を生きてきたから? 懐かしさがあるから?

いや、それだけではない。そこには言葉があったからだ。

夢や理想や怒り、悲しみ、喜び、不運やら思いの丈を込めた言葉。

日本語という共有する言葉を自由に操り、情感豊かに歌い上げているからだ。

ああ、これが昭和歌謡曲の醍醐味なのだろう。

この時代の言葉の豊かさに何故今まで気がつかなかったのだろう。

私の青春はプレスリーにしびれ、マンボで騒ぎ、チャチャで羽目を外し、ビートル

ズに共感し、ローリングストーンズに刺激を受け、ボブディランに共鳴した。

それらはこの世の不条理に立ち向かう原動力のように働いた。

だが、そんな洋楽の脇にはいつも言葉豊かに表現する日本の歌謡曲が流れていた。

そして、いつもどこかで誰かが歌っていて、いつのまにか私の体の中に入り込んで

いたのだった。

時代の空気とはそんなものだろう。

今やその歌謡曲が廃れつつある。発表された今年の年末の紅白歌合戦の曲目を見れ

ばわかるように、横文字の意味不明の曲と歌手のオンパレード。

歌は世につれ、世は歌につれ・・・

今はケータイ一つでいつでも何度でも言葉を操れる時代だから。

貧しい短い一瞬芸のような言葉で事足りる時代だから。

さらにいわせてもらえば「ボキャ貧」の総理大臣が出てくるような時代だから。


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