●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、新しいノートを前に日々の過ごし方を考えました。


今年のモットー


今年からいつもの小型の手帳から大きめの手帳に変えた。

持ち運びの良さよりも日々の書き込みを優先させたのだ。

新しい手帳はまず見開きにその月のスケジュール表があり、めくると後の2ページが

ノートになっていて簡単な出来事やらメモやら自由に書ける。

私はまずそこに今年のモットーにしようとあるコラムから取った「日々日々また日々」

と赤ぺんで書き付けた。

良寛さんの詩で後に「のどかに児童を伴って この身を送る」と続くのだそうだが、

私にはこの部分はまったく関係ないのでいらない。

病人を抱えていると、のどかにとはいかず、その日穏やかなのか、波乱があるのか、

まったく予想できない。どんな1日になるか、出たとこ勝負、臨機応変に日々暮らそ

うと思っているからだ。

時間は止まることなく続く。

1日をどう生きるか、年齢とともに重大な命題であって、うっかりすると惰性で過ご

すことになる。

今の私が介護でまったく時間に不自由なのかといえばそうでもなく、だけど気ままに

まとまったことをしようと思ってもそうもいかない。

なにかをやろうとしても中途半端なのである。

例えば、油絵を描こうとしても道具を出すのも大変、仕上げに時間もかかる、で、つ

い敬遠し、水彩画で間に合わす。

ゆっくり芝居を観たいなあ、と思いながらも劇場が遠いので帰りが遅くなるのでやめ

ようと何事も未消化なのである。

どんな過ごし方をしても1日は過ぎてゆく。

「日々日々また日々」と自覚するが、昨日の続きが今日で、今日の続きは明日ではつ

まらないではないか。

いつまで続くかこれからの時間と命。

そこで思いついた。

少しでも充実した1日でありますようにと願って、友人の年賀状に書かれていた「一

日一生」という言葉も手帳に加えてみた。


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