切り取る
俳句の仲間に神主さんがいる。
神主はほとんど世襲制で、しかも神社の格付けというものが歴然としているそうな。
さらに、いまや神道は下火になる一方なので、氏子の寄進だけではやっていけず、
幼稚園経営をしたり、境内で参拝客に有料の茶菓子を提供したり、と神社の懐事情
はかなり苦しいという。
周りで聞いていた皆はほ〜といった顔だ。
そのうち口々に神社のイメージを話した。清らかで荘厳な雰囲気とか、宮司という
ものはちょっととっつきにくいとか、お寺にはない大木や砂利道の佇まいに奥まっ
たお堂が霊気に満ちているとか。すると、
「いやいや、本来神道にはお堂は存在しません」
と神主さんがいったのでびっくり。
神道は本来自然崇拝で、もともと聖なる景色のところにただ棒を二本立てて、間に
しめ縄を張って拝んだのだという。
縄が横木となり鳥居の形になったのは飛鳥時代。そして渡来した仏教の影響で社殿
を建てるようになったのだそうだ。
「神さまと仏さまが共存するなんて日本ぐらいなもんですね」
誰かがいうと、
「そのわけは、日本は切り取る文化だから。つまりいいとこ取りです」
と神主さんはいう。
日本人は自然の中にある霊力すべてを、我が物にすることはできないことを知って
いて、ここぞと思う部分を切り取って聖なるものに近づく、そんな文化が育ったの
だという。
鳥居のフレーム越しに聖なるものと対峙し、それだけで、霊力に触れることができ
るのである。
さらに神主さんは力を込める。
「俳句だって、切り取りです。その場の情景や気持ちを五七五で切り取って完結さ
せるわけです」
さすが神主さん、うまくまとめるものだ。 |