ある写真展で
写真家、常盤とよ子、私はその名を知らなかった。
何気なく入ったその写真展に心を揺さぶられた。
戦後の混乱する横浜で、ダンサーや売春婦など必死に生き抜く女性を取り続けた作品の数々。
説明を読むと、横浜生まれの同じく写真家の奥村さんと結婚し、横浜の戦後の混乱期を夫婦
で撮影し貴重な資料をのこしたのだという。
横浜といえば、歴史的に外国人とのつながりが深い特異な町である。
開港以来、外国人の居留地として発展し、第二次世界大戦後も連合軍の接収地として数万人
の兵士が駐留していた。
御多分に漏れず、まずそんな場所に発生するのは娯楽施設や売春のはびこる歓楽街である。
戦後のどさくさのとき、生活力を持たない戦争未亡人や身寄りをなくした若い女性や女性引
揚者などが生きていくための手段として、外国人に身を売り、パンパンといわれた。
常盤とよ子さんの被写体はそうした赤線地帯で働く女性である。
まっすぐカメラを見据える女性の強い目、兵士たちを路上で待つ姿、ダンスホールで軽やか
に踊る女性、強制取り締まりで送られた病院での待合室風景など。
写真の中の女性は物怖じもせず毅然としていてたくましい。皆生きることに必死だったのだ
ろう。
見ていると、切り取った1枚、1枚の写真から、文章では言葉を尽くしても語れない状況や
人物の意志や感情など多くが迫ってくる。
すごいことである。
何枚かの写真の背景に、私が以前横浜を中心にリポーターをしていた頃、取材で訪れたりし
た場所があったりしたので、私はいつのまにか、昔の自分の姿を引き寄せていた。
あの頃自分の立っていた場所が、戦争直後とはこんなんだったのだぞと重い過去を背負って
立ち上がってきたようだった。
こうした戦後の苦難の時代を考えることもなく、横浜を異国情緒あふれる港町としてとらえ
ていた自分がなんだか恥ずかしくなった。
仕事とはそんなチャラいもんじゃないぞ、必死に生きた人々の喜怒哀楽を抜きにして語れな
いのだぞ、と叱られたような気がしたのだった。 |