ある句友
本屋の2階でしている句会に新しい人が入会した。
かなりのお歳で、娘さんとおぼしき人が送り迎えをしている。
“最勝寺示現流”というかなりいかめしい俳号を持っていて、かなりのベテランとお
見受けした。
俳号から察して、九州男児なんですね、と言ったら、嬉しそうに頷いて、示現流とい
う九州薩摩藩特有の剣術についてぽつぽつと話す。
ときどき、お年寄り特有の固有名詞がなかなか出ないのだが、ゆっくり、ゆっくりと
言葉を探す。
腰は曲がり行動も緩慢なのだが、こうした句会へ出るだけでもすごい。
長年親しんだ俳句に触れていたいという意欲が痛いほどよくわかる。
歳をとって好きなことがあるというのはすばらしいことなのだ。その事への情熱が行
動を起こし、生きる支えになるのだと教えられる。
“最勝寺示現流“さんの創る俳句は若々しく、語彙も豊富で、たとえば、
甲子園良夜訪れ万物音もなし
という句は、破調ながら野球終了後の夜の雰囲気が出ていると、皆から絶賛された。
だが、2時間の句会は疲れるらしく、そのうちときどき居眠りが入るようになった。
それも、なんだか大物に見えて微笑ましかったのだが、3ヶ月ほど経った後、その方
は突然やめてしまった。
やっぱり無理だったのか。
先生によると、その方は実は老人ホームで暮らしていて、送り迎えの女性はヘルパー
だったとか。
安全第一で過保護に管理される施設で、外出を許されるのはかなり特別だったのでは
ないか。
“最勝寺示現流”さんはかなり勇気のある行動をしていたのである。
「俳句をひねっていると老いの憂いを忘れ、世の中の喧噪を忘れます」
という言葉が忘れられない
(一葉もどきはこれより1月15日まで冬休みとします) |